【Pioneer’s Session VOL.6】田中康之 × 安藤圭祐 × 池田朋史 <前編>

【第6回 Pioneer’s Session】
平素より慶應ラクロスへ多大なるご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
第6回となる今回は、慶應ラクロス部の中枢を支える「主将」をテーマに、卒業生からは田中康之さん(1999年卒)、安藤圭祐さん(2015年卒)、現役部員からは池田朋史(4年)に参加していただきました。
今回は前半の様子をお届けします。
ぜひお楽しみください。
自己紹介をお願いします。
池田:
初めまして、2025年度主将を務めさせていただきます池田朋史です。
高校時代はアメリカンフットボールをやっていて、アーセナルとして大学からラクロスを始めました。本日はよろしくお願いいたします。
田中さん:
池田くん塾高?
池田:
そうです。
田中さん:
じゃあ完全に同じだね。僕も塾高でユニコーンズだった笑。
池田:
そうなんですね。すごい偶然ですね笑。
田中さん:
初めまして、田中康之です。1998年度に主将をしてました。
僕も塾高はアメフト部だったんですけど、頭を怪我してアメフトはドクターストップになったんだよね。多分その流れだと本当はラクロスもダメだったと思うんだけど、当時はアメフトよりはそんなにハードではないっていうイメージから、大学からラクロスに切り替えました。

もう慶應ラクロス部を引退して30年近く経つのかな。多分その中でもトップ3に入るぐらいマイナーな主将だと思うので、それはそれでレアな人選じゃないかなっていう風に思います笑。多分安藤くんはスターとしてやってきたと思うのですが、私は前後をスターに囲まれた狭間の世代で、本当にAとBを行き来するぐらいのキャプテンでした。結構バリエーションが出ていいのかなっていう風に思います。
今は”KEIO LACROSSE BASE”という、まだ現役のみんなには全然貢献できていないんだけれども、スポンサー獲得などを学生が進めやすくするために、OBG会ではない器ということで去年からステルスで一年過ごしましたが、今年ぐらいからもっと色々なところで関わっている姿を見せられたらなと思ってます。引退後はほとんど関わりがなかったんだけど、そこの理事をやっている繋がりで、ここ数年は久しぶりに接点を持たせてもらってるって感じです。今日はよろしくお願いします。
安藤さん:
皆さんこんばんは、2014年度主将を務めさせていただきました安藤です。
現役時代はゴーリーでした。多分ゴーリーで主将をやってたのはなかなか珍しいんじゃないかなっていう風に思っています。
僕も歴代に色々な主将がいらっしゃったり、先輩後輩に多くのスーパースターがいる中で、なぜこのチョイスなんだっていうところがちょっとあるんですけども、少しでもお役に立てればと思って、今日を楽しみにしてました。よろしくお願いします。

当時の様子を教えてください。
池田:
今は部員が3学年で110人ぐらいいて、アーセナルと塾高が半分半分ぐらいだと思います。
最近ちょっと変わってきたかなって思う点は、主力として出てる選手にアーセナル出身者が増えてきているところです。そこは昔と違うのかなと思ってるんですけれども、お二方の時はどんな感じでしたか?
安藤さん:
僕の時は4学年で130人いました。1学年に30人ずつかなっていうイメージです。
当時は、これも概算なんですけど、アーセナルと塾高出身の割合でいくと、全体の3分の1が塾高出身で残りがアーセナルだったと思います。でも、僕がいた10年前は試合に出るとか主力としてけん引するのは、塾高組の方が多かったかなっていうのが印象です。
ちょっと1個補足させてもらうと、僕らの代はあんまりアーセナル出身だとか、塾高出身だっていう境目や、ライバル意識みたいなものが一切なくてですね。塾高出身で花園や甲子園とかを目指してた野球とかラグビーとかアメフト経験者が同期として入部してくれたので、むしろ3年間ラクロスやってたぐらいで調子乗ってんなぐらいな感じでしたね笑。そんな感じだったので、最後はやっぱり彼らも同じぐらい主力になってました。
ものすごく負けん気の強い代だったなと記憶に強く残ってます。
田中さん:
池田くんから安藤くんの代までがちょうど10年くらいで、安藤くんから僕の代までが15年くらい差があると、部の雰囲気とか全然違うよね。
僕の時は、各代で10人いるかいないかくらいだったから、全体で50人もいなかったと思うな。基本的には塾高ラクロス部の出身者で、外部から初心者で入る人の割合は少なかった印象だね。だから、外部から未経験で試合に出られたらすごいなっていう感じだったかな。
あとは、体育会か普通のサークルだったのかっていうところの違いも大きかった気がする。当時は、いわゆるバリバリのアスリートがガンガン入ってくるような雰囲気ではなかったね。
池田:
田中さんの時代は、まだ体育会ではなかったんですか?
田中さん:
体育会ではなかったね。
安藤さん:
確か2008年くらいに体育会に昇格したんじゃないかな。
田中さん:
安藤くんの時代はもう体育会だったよね?
安藤さん:
はい、僕が高校1年生くらいの時に体育会になったって聞いた記憶がありますね。
池田:
意外と最近なんですね。
安藤さん:
その変化は結構大きいかもしれないね。
体育会になったことでメリットもデメリットもあったと思うけど。
池田:
田中さんの時代って、そもそもアーセナルっていうチームはあったんですか?
田中さん:
当時はアーセナルとか、そんなかっこいい呼び方はなかったね。普通にAチーム・Bチームだった様な気がする。C・Dとか3・4チーム体制でやる規模感ではなかったね。
外部未経験だからという分け方はしてなくて、完全に実力で学年もあまり関係なく割り振られてたかな。
池田:
初心者でもいきなり飛び込ませる感じだったんですか?
田中さん:
そうだね。多少、先輩が面倒を見る期間はあったけど、すごく丁寧に教えてもらえる環境ではなかったね。
池田:
ものすごく厳しいですね笑。
田中さん:
だから、初めてやる人がすごく伸びる体制ではなかった印象はあるかな。
自力でなんとかする人が多かったと思う。
池田:
なるほど。そうすると、アーセナルっていつ頃できたんですかね?
安藤さん:
はっきりは分からないけど、少なくとも僕が高校1年生だった2008年には、慶應大学のアーセナルに自主練習で参加させてもらってたかな。
その時点ではすでにあったのは確実だと思います笑。
田中さん:
実際、アーセナルってどんな位置づけなのかな?
池田:
そうですね。
今はA・B・Cの3チームがあって、1年生の初心者は最初1年間をアーセナルで過ごすイメージです。
田中さん:
なるほどね。当時はそういう明確な区分けはなかったね。
みんな一緒に入って、純粋に実力でAとBに分かれるっていう感じだったかな。
今って、副将は何人いるの?
池田:
今は副将が2人います。安藤さんの時は何人いましたか?
安藤さん:
僕らの代は最終的に1人でしたね。最終的っていう表現がちょっと変わってるんですけど笑。1つ前の Pioneer’s Session の副将対談に参加してた猪野っていう同期がいたんですけど。彼が途中で副将を降りることになって。最終的には主将1人、副将1人っていう形になりました。僕らの代は結構ユニークだったと思います笑。
池田:
なるほど。田中さんの時はどうでしたか?
田中さん:
僕の知ってる限りでは、ずっと主将1人副将2人っていう体制が基本だったね。
安藤さん:
俺の代以外も基本的にはそうでした。
田中さん:
僕の時は大体3年生の時に副将になった人が、翌年そのまま主将になるっていう流れが伝統としてあったかな。僕の頃でも50人くらいのチーム運営で大変なところはあったね。

3年で副将をやってた時に感じたのが、幹部とその他選手との間にかなりの意識差や乖離があったこと。だから、自分が主将になった時には、幹部とチーム全体の距離感を近づけたかったから、自分の代では幹部メンバーをすごく増やしたんだよ。意思決定のプロセスに、もっとコアメンバーを巻き込んでいかないといけないんじゃないかと思って。下級生の頃にちょっと違うんじゃないかって思ってた部分を、自分がそのポジションに就いた時に変えようとしたっていう感じだったな。
特に、4年生が就活で忙しくなる時期は副将として自分がチームを引っ張る意識はすごくあった。試合メンバーの選定がなんとなく納得感がないというか、モヤモヤすることが多かったんだよね。だから、思い切ってメンバー決めは全員の投票で決めちゃえばいいんじゃないかって試してたりしたな。結果的に、当時の幹部ミーティングは10人ぐらいになってて、いつもファミレスとかで話してた笑。
池田:
それでいうと今も似た様な制度があります。幹部の他に ”学年幹部”っていうのを作っていて、3年生のオフェンス、ディフェンスから3人ずつ出してもらってます。彼らにはあらゆるミーティングに出席してもらって、来年はどのように運営を進めていくかみたいな練習の場を設けてます。
やっぱり、下級生と4年生の意識の差っていうのは当然出てきてしまうので、早い段階から下の子たちにそういった意識を持ってもらうのは本当に大事なことだなって思いますね。
安藤さん:
実際、幹部とチーム全体の意識の乖離を埋めるために池田自身がやっていることはあったりする?
池田:
新しく始めたことは、意見箱制度を儲けて、出てきた案などを幹部会議で話し合うことで風通しの良い組織運営を心がけてます。後輩からも意見を言える環境は大切だと思ってるんで。安藤さんはどうされてましたか?
安藤さん:
もちろん乖離を埋めるために色々と策を講じるべきだと思うんだけれども、それは一定数どうしても発生してしまうものかなと思っています。
僕の代では、当時130人部員がいたので幹部数名で到底全員は見切れないというのは分かりきっていました。なので、僕らがやったことはB・C・Dアーセナルの4チームに対して、それぞれに僕らが3年から4年に上がるタイミングで学生コーチの人選をしてました。今年4年こそ試合に出れるギリギリの実力を持ちつつ、性格面もちゃんと教えてくれるだろうっていう人たちに、僕たちから引退勧告を出して選手生命を絶ち、承諾してくれた同期にコーチを任せてました。彼らに部の全体最適を取ってもらうために、選手としての個人最適を捨ててもらうという選択は今でも覚えてるくらい人生でも重たい決断でした。
この策は他のチームの状況や選手の状態を、間接的に知ることができて人事異動もより意味のあるものにすることができたと思ってます。あとは、可能な範囲でA・BチームとC・Dチームのオフの日を変えることによって、僕らがオフの時にCとDの練習を見てあげられる状態にはしてたかな。
池田:
それは大事ですよね。
やっぱり意識の差って、学年とかチーム間でも当然出てきてしまうものじゃないですか。その乖離を埋めるのに、コーチの人選っていうのはとても大事だと思ってます。実力順で決めるのではなく、”ほんとにこの人なら任せられる” っていう人をコーチにする部分はとても共感しました。
安藤さん:
活躍できるところがないからコーチという場があるっていう考え方は好きではなくて。
僕らの代から10年以上経って、より新しい、分析班とか広報とか色々な活躍できる場が用意されているっていうのはすごいいいことだと思う。だけど、一番大切なのは選手や、分析班とかトレーナー、マネージャーが ”自分自身を誇っているかどうか” は大切だと思うな。

自分が尊敬しているリーダーや影響を受けた人はいますか?
池田:
やっぱり、1個上の藤岡凜大さんは近くで見ててすごいっていう風に思いましたね。
初めは学生スポーツなので、高校の部活の主将みたいなイメージを持ってたんですけど、自分が3年生次に学年幹部をやってた時に、ずっと凛大さんの近くで見てて、こんなにずっと組織のことを考えていることに驚きました。今だけではなく、将来の組織の強さだったりとかにも責任を持って、リーダーとしての役割を果たした姿には影響を受けました。
安藤さんはいらっしゃいましたか?
安藤さん:
もちろんいっぱいいますよ。
その中でも、2個上の主将をやっていた相川さんっていう方はものすごく怖い方で笑。だけど、怖いほど成果を出してくるような人で、「この人についていけば間違いない」って思ってました。でも、心の奥底には愛情深い何かみたいなものをすごい感じる人で。毎日毎日、緊張しながら、練習とか試合をしてたけど、最後はその人がカバーしてくれたり、ロングだけど自分で点を取ってきたりとかして、本当にかっこいいなって思ってました。

でも、僕自身ゴーリーなので、人に頼らないと勝てないポジションというか、負けないようにはできるけど、勝利に導くことはほぼできないっていう立場だったので、尊敬するリーダーみたいなところでいけば、相川さんなんですけど、僕は同じ様な振る舞いはできないなと思ってました。なので、色々な人に頼って、その人のパフォーマンスに期待して、部全体でより良い成果を出していく主将像を目指してました。
田中さんは現役時代何か意識されていたことはありますか?
田中さん:
そうだね、部員数が多くなってからの主将は僕らの時代の主将とは違うなと思いました。
今のラクロス部とか、他のスポーツも含めて、ゲームキャプテンとチームキャプテンのダブルキャプテン制を取り入れることが結構多いんだよね。
ゲームキャプテンは、試合の中でリーダーシップを発揮する人で、チームキャプテンは、組織のマネジメントみたいな役割があって。多分、僕よりも前ぐらいの世代って、1学年10名いるかいないかぐらいだから、ほとんどがゲームキャプテンだったと思うんだよね。そういう系譜の中で、チームキャプテンっぽい立ち回りをしていたので比較的異質な主将だったと思います。
池田:
そういった主将になった経緯とかあるんですか?
田中さん:
僕が塾高のアメフト部にいた時、少し上のキャプテンが今でも印象に残っていて。
小柄なんだけれども圧倒的にハードヒットするっていう魂の人なんだけど。1番感銘を受けたのが、当時で言うと“まわし”みたいなものがずっと続いていた中で、その人が高3の時に全部止めたことかな。下っ端が準備して片付けるっていう雑用を下級生の時にやって、ようやく最上級生になって自分たちが王様になれるっていう代で、それおかしいから俺らでやろうよみたいな。
まさにチームキャプテンとしての決断だなと思って、そういうところに憧れはあったね。もしリーダーの役割を務めるのであれば、そんな主将でありたいなとは思ってました。
前半はお楽しみいただけたでしょうか。
後編は一週間後の3月8日の投稿を予定しております。
乞うご期待ください。