【Pioneer’s Session VOL.5】白井聡 × 猪野慎太郎 × 佐藤孝紀 <前編>
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
平素より慶應ラクロスへ多大なるご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
第5回となる今回は、慶應ラクロス部の中枢を支える「副将」をテーマに、卒業生からは白井聡さん(2007年卒)、猪野慎太郎さん(2015年卒)、現役部員からは佐藤孝紀(4年)に参加していただきました。
今回は前半の様子をお届けします。
ぜひお楽しみください。
自己紹介をお願いします。
白井さん:
2007年卒の白井聡です。よろしくお願いします。
僕は塾高でラクロスを始めて、その流れで大学でもラクロスを続けました。なぜ高校でラクロスを始めたかというと、中等部で一緒に野球をやってたメンバーや他の部活の仲いいやつらで集まって、なんか新しいスポーツやろうよみたいな感じで。
その中でもみんなでラクロスを選んだ理由は、ちょうど自分が4年後の19歳の時に、U19の代表活動があるって聞いて、代表行けるかもっていうタイミングだったので入部しました。一応、大学1年の時にU19代表にも選ばれたこともあり、大学でも自然な流れで続けました。
猪野さん:
2015年卒の猪野慎太郎です。塾高出身で、元々バスケ部でした。
大学からアーセナルとしてラクロスを始めるに至りました。当時、塾高ラクロス部の同級生で、後に僕らの代の主将になった安藤が塾高の同じクラスで、誘われて体験に行ってみたら面白いじゃんってことで始めました。
よろしくお願いします。
佐藤:
現役副将を務めさせていただいてます、佐藤孝紀と申します。僕自身も、塾高出身で元々はホッケーをやっており、大学からはアーセナルとしてラクロスを始めました。
本日はよろしくお願いいたします。
当時のラクロス部の様子を教えてください。
佐藤:
そもそも当時は體育會として認定されていましたか?
猪野さん:
僕らの代は認定されていました。
ちなみに質問なんですけど、今副将って何人いますか?
佐藤:
今2人います。僕ともう1人、小川健という22番のロングが副将で、幹部は3人体制でやってますね。
猪野さん:
じゃあそこは僕らの代の時と一緒ですね。けど僕らの代はちょっと特殊で、最終的な副将は3人?いたので。
佐藤:
そうなんですね。
猪野さん:
ちょっと特殊かもしれないんですけど笑。
佐藤:
それは各ポジションで1人ずつみたいなことで3人ということですか?
猪野さん:
それはポジションは関係なくっていう感じですね。長くなるので後程説明します。
白井さん:
僕らの代の部員数は大体80〜90人ぐらいでした。大体1学年20人から25人ぐらいで、その時は内部生と外部生の割合は半々ぐらいでした。
猪野くんの時代では體育會に上がってたと思うんですけど、当時は”新種目体育団体”に属していて體育會の一歩手前のようなところにいました。
新種目体育団体は当時4つぐらいあって、何かしら大学側に活動を見ていただいて體育會に上がれるっていう状況だったと思います。俺の代の2年後に體育會に上がったと思います。猪野くんの時はどうだった?
猪野さん:
ちなみに白井さんは岡田さんと同期でしたか?
白井さん:
岡田の同期です。
猪野さん:
そうなんですね。
ちょうど岡田さんが僕らのアーセナル時代のコーチでした。
白井さん:
今日この後忘年会で会うから言っとくわ笑。
猪野さん:
僕たちのアーセナルは岡田さんとペプさんに育てられた代です。
白井さん:
それは素晴らしいことだね笑。
猪野さん:
僕らの代は120人くらいで、自分が4年の時に一気に1年生が入ってきて、多分初めて100人を超えるぐらいになったのかなと記憶しています。副将が途中で変わったりした少し特殊な代です笑。
少し詳細を話すと4年とか実は僕、膝を怪我しててほとんどまともに試合出てないんですよ。特に全日(全日本選手権)の決勝とかは出れてません。全大(全日本大学選手権)の決勝とかは怪我しててもなんとかなるかって出てたんだけど、もう当時は走れない状態で。詳細はまた説明しますが、それもあって試合に出られる人間が途中でもう1人副将になって、僕は降りたという感じなんですよね。
代わりに僕は元々結構リーダーシップだけはあったので、途中まではメンターみたいな関わり方をしてました。現役の副将のみんなは試合に出ながらやってると思うから関わり方としては違いますけど、そんな立場なりに言えることはあるかなと思いますので、色々聞いてもらえればと思います。
佐藤:
ちなみに、当時の新種目体育団体ラクロス倶楽部だった頃は體育會本部から誰かが評価しにくるみたいな感じだったんですか?
白井さん:
だれがどのように評価していたかは覚えていないし、俺はよく知らなかった。
その上で当たり前のことだと思うけど学校生活でのマナーとか、電車とか学校でバッグなどを綺麗にまとめる、周りの方に迷惑をかけないみたいなところは結構意識していました。学校には学ランも着てました。確か学ラン率が自分が1年の時に比べて4年の時はかなり増えた気がします。今もそう?
佐藤:
今もそうですね。
キャンパス内でラクロスバックを背負う時は、学ラン着用は義務にしてます。
日本一になる前から結構、慶應ラクロスっていうのは良くも悪くも注目される存在ではあるっていう風に認識していました。観戦時の応援の態度とか、普段の練習間の移動、公共交通機関を利用する時の周りからの見え方は、慶應ラクロスとして認知されても恥ずかしくないようにっていうことは、常に部員に伝えているところではあります。先日、学生日本一を取って、今まで以上に注目される存在になったっていうのは自分たちでも自覚しているので、僕たちも今までより強く周りからの見え方っていう部分は意識してます。
当時の猪野さんはどうでしたか?
猪野さん:
いや、僕は特別意識はしてなかったですね。
というのも普通に體育會だったら学ラン着るのは当たり前だし、マナー違反があったら怒られるし、当たり前に当たり前のことをやってました。上の世代の方々から多分脈々と引き継いできたものをそのままやってただけみたいな感覚でした。
佐藤:
100人を超える組織だと割と規律を正さないと周りからの見え方を意識できない部員とか、実際今の部活でもいて、そういう人たちへの対応みたいなのって、当時は何か考えられてましたか?
猪野さん:
僕らはそんなになかったけど。その時はすごく詰めてましたね笑。
正直あんまり覚えてないんだけど。結構詰めてから、そういう人は最終的にやめていくみたいな感じですけどね。当時、僕が入っていた塾高のバスケ部とかって部活だけど、 部内会議みたいなので同期を辞めさせるとかあったんですよ。 当然お互い合意の上でね。なので部内会議をすることは元々僕の文化としてありました。それもあって、僕らの代はやめてたやつはちょっと多かったかな。
佐藤:
そうだったんですね。僕らの代っていうか、基本的にここ数年はその退部にはしたくなくて。そういう規律を守れない人と話して、その人が組織に属せないっていう判断のもと自分からやめていってもらうようにというのはあります。極力僕たちとしてはそういう風にならないように、140人の部員をまとめ上げる必要があると思ってるので、どうやめさせるかというより、どうやったらやめさせないで自分たちのこのベースに持ってこれるのかっていうのは、常に意識してやってはいますね。結構難しいところではあるんですけど。
あとは僕たち自分たちで決めたルールを犯すとオフがなくなるオフ無しっていう制度を取り入れていて、バツとしてチームの練習がオフの日に他チームの練習に参加して雑用やったり、準備、片付けを率先してやらせたりとかっていう、そういったところで今は規律を保ってはいると思います。
白井さん:
今はまわしってあるのかな?
佐藤:
今はまわしはないですね笑。
白井さん:
確か上の学年がいたときは結構回しがあって、誰かが、トラブルを起こしたり遅刻をするとその学年で連帯責任で走るっていう。全員がグランド20周くらい走ったりして。
俺の代は多分全部で5〜6回は走ったかな。しかも、ほとんどの原因がおなじやつで笑。今となってはいい思い出です笑
佐藤:
時代を感じますね笑。
昔は坊主にするのがあったと聞いてるのですがお二方の時はありましたか?
猪野さん:
僕らの代はそれでしたね。なんか連帯責任でも本人がそれで責任を負うようないい奴らじゃねえみたいな感じだったので笑。
けど当時からそのシステムは良くないって思っていて、僕が個人的理由で坊主のルールをなくしたりはしました笑。
佐藤:
そうなんですね。
猪野さん:
普通に坊主にするとか、全然サステナブルじゃなくない?とか言って笑。
意味がないから、普通に再発防止策を考えた方が全然いいんじゃないみたいな話をして、なくなりましたね。
佐藤:
自分の代も割とその流れはなんとなくありますね。
猪野さん:
ちゃんと再発防止を考えてれば、別にバツあろうがなかろうが、遅刻するやつはするし、しないやつはしないかなって僕は思ってますけどね。個人を責めたって仕方ないので仕組みを変えなきゃ。
佐藤:
結構個人の問題みたいなところはありますもんね。その人に本当に遅刻を防ごうとする気があるのかみたいなところになってくるんで。
猪野さん:
そうですね。
結局、罰より話し合いが一番だと思ってます。詰めるといっても、それぞれの将来を考えて、部にあってない場合はやめていく人もいた、みたいな感じでしたね。そういった点は僕らの代はドライだったかもしれません。
佐藤:
学生主体の場合、友達とか同期にきついことを言わなければいけないみたいな辛さとか、難しい部分は別に気にされてなかったですか。もう部活のことは部活として割り切ってやってました?
猪野さん:
僕はそれに感しては辛いと思ったことがないので笑。
物事を思ったことを思った通りに言って、自分のストレスの発散ではなくて、ただチームのため、あるいは相手のために言ってるつもりなので、別に辛いと思ったこともないですね。副将だから言うとかではなく、僕はずっとそういうタイプでした。
白井さんはどうでした?
白井さん:
自分の代に対してはなかったかな。
後輩に対しては、きつく言わないというか、伸ばす方が結構好きだったので。そういう意味で言うと、ちょっと下に対してはのびのびやらせてたタイプでした笑。
前半はお楽しみいただけたでしょうか。
後編は1週間後に投稿を予定しております。
乞うご期待ください。