【Pioneer’s Session VOL.3】吉村厚輝 × 玉置樂土 × 野田凛太郎 <前編>
平素より慶應ラクロスへ多大なるご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
第三回となる今回は、慶應ラクロス部の大きな特徴の一つでもある「学生コーチ」をテーマに、卒業生からは吉村厚輝さん(2017年卒)、玉置樂土さん(2024年卒)、現役部員からは野田凛太郎(4年)に参加していただきました。
今回は前半の様子をお届けします。
ぜひお楽しみください。
まずは自己紹介をお願いします。
吉村さん:
初めまして。2017年卒吉村と申します。当時は、”Rise”っていうスローガンでした。キャプテンは山田っていうやつで、他の同期は井上裕太とか、河村剛士とかが前線でやってた代です。僕は塾高からラクロスやってて、ずっとミッドフィルダーでした。大学最後の1年間だけアーセナルコーチをやってました。よろしくお願いします。
玉置さん:
井出さんと同じ代ですか?
吉村さん:
そうです、井出と一緒にやってました笑
玉置さん:
井出さんにはいつもお世話になっております。
吉村さん:
そうなんだ笑
なんか井出いまだに慶應ラクロスに関わってるよね。
玉置さん:
今は監督ですね笑
吉村さん:
監督なんだ。現役時代は井出がそうなるとは思っていなかったから。
野田:
井出さんの相方は誰だろうと思っていたのでやっと会えて光栄です。
吉村さん:
アーセは井出と俺でやってたんだよね。それでいうと、井出とそれまでほぼ喋ったことなかったけど。アーセコーチになってから、多分その3年間の10倍ぐらい喋った笑
玉置さん:
24年卒の玉置樂土と申します。私も塾高からやっていて、ポジションはミディーでした。大学3年の時にアーセナルコーチになり、4年生からBチームコーチをやってました。今年もなぜかBチームとCチームの社会人コーチをやっております。よろしくお願いします。
野田:
現役部員の野田凛太郎と申します。僕はお二方と違ってアーセナル出身で、4年生の時にアーセコーチになりました。それまではずっとディフェンス、ロングをやってて、3年生の時は玉置さんのもとでBチームで活動してました。たまたまなんですけど、実は僕らのアーセだけのスローガンみたいなのがあって、それも”Rise”なんですよ。
吉村さん:
そうなんだ、スローガン被りだね笑
アーセナルだけのスローガンなんてあるんだ。
野田:
そうですね。今年はスローガンを作ってて、井出さんにもめちゃくちゃお世話になってます。よろしくお願いします。
慶應ラクロスにおいて学生コーチの立ち位置とは?
吉村さん:
難しいよね。2人の意見をちょっと聞きたいな。
野田:
僕は他大学の強いチームだったら基本的に社会人のコーチの方を雇っていることが多いと思います。1年生の育成においてもほとんど一部の強豪校だったら、社会人の名の知れた選手がやっていることが多いんですけど、逆に僕たちはずっと学生だけでやってるので、その場の現場監督的なところもあるかなと感じます。なので、他の大学よりはある程度は自分たちが率先して先頭に立ってやる必要があると思います。
玉置さん:
自分はそもそもアーセコーチをやったのが3年生でした。旭さんと荒井さんっていう4年生のお二方がいたので引っ張る面も、もちろん自分は持ってたけど引っ張ったのはどちらかといえば4年生のお二方でした。自分は結構、就活チックな言い方でちょっと気持ち悪いけど、選手と一緒に伴走するっていうか、本当に二人三脚で一緒に走るぐらいの感じでやっておりました。4年生の時は、もちろんBチームのオフェンスは自分1人でまとめないといけないので、もちろん統率とかそういうのは持ってたけど、3年生でアーセコーチやってる時は二人三脚で一緒に走るって感じでやってましたね。
吉村さん:
そうだよね。今2人が言ってくれてたように、模範回答的にはやっぱり慶應ラクロスって学生主体みたいなところがすごいあると思う。トップチームだとトップチームのメンバーで練習メニュー考えてるけど、自分がコーチやってた時は自分がメニューを考えたりしてて、そういうのってやっぱり他の部活とか他大学とかであんまないことなんだろうなと思うから、そこが学生主体の結構究極系みたいなイメージがある。
なんかぜひ2人の意見もお聞きしたいのがコーチやってる時に、その教えてる子たちが日本一を取ることをイメージしてたか、自分の代が日本一を取ることをイメージしてたか。僕は3年間ずっと選手をやってから4年でコーチになったんだけど正直、最初はコーチになりたかったわけではないんだよね。だけど、自分の代が日本一を取るために最適な自分のポジションは多分アーセコーチだなって思ってやった。その上で、3年後の日本一も取りたいと思ってたね。
あと僕アオアシって漫画好きなんだけど笑 その中で福田監督がサブが強いチームが本当に強いチームだって言ってて、それはすごい共感してた。試合に出ないメンバーもガチで強いチームっていうのが日本一とれると思ってたから、僕は3年後の日本一も意識しながら、今年日本一取るために自分がコーチやることでより確実なものにしたいっていうのはすごい気持ちとしてあった。その立ち位置みたいなとこでいうと、僕のイメージとしては教え子の育成もあるし、その代で日本一を取るための1ピースの認識も結構あったなっていうのは改めて考えてましたね。
野田:
それは間違いなくあるかなと思います。来年以降、日本一を取り続けることを考えた時に、アーセナルの選手たちが台頭していかないと難しいなと感じています。自分はコーチをやりたいなと思ってたので、この役割で自分の代にも貢献できてよかったと思います。
玉置さん:
自分は3年生からコーチをやってて、自分が見ていた選手が4年生になった時に出てくれるだろうと思ってました。もちろん代のことを考えたのもあるけど、やっていくうちにやっぱ自分の選手可愛くて笑 気づいた時には自分の教えてきた選手たちが日本一を取るっていうのを結構心の中に置いてやっていましたね。自分の代としてはコロナとかもあって活動できなくて、戦力的に足りないところに対して教えた選手が活躍してくれたことで貢献している感じはありました。
コーチをする上で意識していたことは?
吉村さん:
僕はとにかく見てあげることを意識してたかな。教えた子たちに1回言われたのが、すごい細かいところだったんですけど、まくりシュートを打つときに角度がかなり薄いとこから打ってた子がいて、もう1歩入って角度作って打った方がいいって話をずっとしてた時に、どこかの練習でその子がうまくできた際に「今1歩入ったじゃん」みたいなことを言ったら、「よく見てますね」って言われた笑
そこで冷静に確かにこの人見てくれてるんだなってなったらやる価値があるし、見てないなってなったらやりがいも減ると思った。そこからすごく見てあげることを意識してた記憶はありますね。
玉置さん:
自分も少し似てるかもしれないですけど、接点をずっと持ち続けるってことを意識してました。練習内ももちろんそうだし、練習外でも当時、練習時間が日吉が6時から8時までしか取れなかったので、多摩川でよくみんなと壁当てしてからお昼を一緒に食べてましたね。他には、自分が1番熱量を持つことと、もう1個は自分が元々選手やってた時よりも強度を上げるっていうのは、コーチをやってからより意識していた部分ですね。
野田:
僕がコーチとして意識しているのは、自分がアーセだった頃のコーチにされて嬉しかったこととか、モチベになったことを思い返しながらずっとやっているところです。もちろん見てあげることはすごく大事にしているのですが、その中でも2つあって、1つは1人の選手に対して色々なアプローチをすること。2つ目は楽しさの種をまくことです。色々な選手がいる中で、褒めて伸びる選手と逆に危機感を与えた方がすごくモチベになる人もいると思うので、その選手にあった方法を見つけるまでは色々なアプローチでやる。もう1つは自分に熱量持って”ラクロスってこんなに楽しいんだぜ”っていうのを始めてまだ半年も経っていない子に知ってもらえればなと思ってやってます。
吉村さん:
俺はアーセ出身じゃないから最初はアーセコーチよりはBの方がいいんだけどみたいなのはあった。アーセの気持ちわからんみたいな感じだったけど、そこは確かに井出に聞きながらだったかな。
あとすごい思ってたのが、トップチームにいる人材になってほしいわけだから、俺が教えても限界あるなってちょっと感じてた。だから、めっちゃ他の同期とかに練習に来てもらって、ちょっと俺でもわかんないから教えてくんねみたいな感じで教えてもらったりとかしてたなって今ちょっと思い出しました。
玉置さん:
確かに僕もシーズン後半、6on6が始まってから塩原とか颯太に来てよって言ってましたね。
野田:
その点に関しては、井出さんの遺伝子を半分受け継いでるのでよく「君たちの何十倍もうまい選手たちを君たちは育てなくてはいけない」と言われてから、それをどうするかをずっと考えてます。もう1人、鎌田っていう色々なラクロスネットワークがあるやつと組んでるんですけど、 誰でもいいから上手い人を引っ張って練習に参加してもらっています。
玉置さん:
僕はBに送りこんだりもしました。今13番の中西海とか、あと90番の池田とか。
ちょっとBチームから苦情はあったかもしんないけど笑
野田:
結果めちゃくちゃ伸びましたもんね笑
玉置さん:
海と池田は主力級に伸びてくれましたね。
コーチをしていて当時嬉しかったことと苦しかった思い出は?
野田:
僕はやっぱりお二方も共通かなと思うんですけど教え子たちの成長というか、日に日に僕らが外から見てても、 一言こういう視点も持ってみたらっていうだけで、急に上手くなったりする選手は自分のやりがいになるし、シンプルに嬉しいなって思います。苦しい思い出はそんなには多くないですけど、やっぱり同期と仲いい人が多いので練習で会えないことですね。
吉村さん:
仲の良い同期とかが怪我のリハビリとかで急に落ちてきたら、ちょっと嬉しいよね笑
野田:
僕らはオフなしっていうのがあって…
吉村さん:
オフなし?ワードだけだとブラック企業みたいな感じだけど笑
野田:
寝坊して練習を欠席してしまった人とかがオフなしになるのですが、練習の振替で来てくれる時は嬉しいですね。
玉置さん:
嬉しかったことだと現役時代はやっぱサマー・ウィンターがちょっと結果出なかった代なので、最後あすなろで優勝した時はすごい嬉しかったです。
吉村さん:
すごいね、あすなろ優勝したんだ。
玉置さん:
そうですね。もしかしたら吉村さんたちのとき以来ですかね。
吉村さん:
俺らの代もしたね。あれはめっちゃあつかったな。
玉置さん:
最近ぽろっと感じてるんですけど、體育會なんで競争社会な以上やっぱり成果が出ない選手は結構しんどいこともあると思いますが、鵜沼っていう今3年生のミディがCチームに4年の選手があまりいない中で率先してミーティングとかやったり、主将の力を借りて選手と一緒に練習外でコミュニケーション取ろうとして頑張ってる姿を見るとすごいじんわりくるものがあります笑
苦しかったことといえば、グラウンド時間が圧倒的に短く矢上も使えない状態が、もう圧倒的に大変でした。今も8時まで?
野田:
そうなんですよ。本当に大変で、メニュー時間が65分とかで。
吉村さん:
塾高ラクロスみたいだな笑
8時くらいに撤収で、その後はいつもマック行ってたけどまだ朝マックだったわ。
吉村さん:
嬉しかったことはいくつかあって、僕が教えてた代はサマー優勝したんですよ。小林圭とか脇本、ゴーリーの天野とかの代で、それはすごい嬉しかった。
それとさっき言ってくれたC、アーセだけ練習場所違うみたいな話でいうと寂しさもあったんだけど、僕はトップチームのコーチボックスにも入ってたんですよ。 当時、できたてぐらいの時だったんだけど複雑なUSAフライみたいなのをやらないといけない係だったので、公式戦の2日前、3日前ぐらいになるとAに帯同しなきゃいけなかったから、その間は井出に任せるみたいな感じだったんですよね。それは個人的にはすごくよかった。だからこそトップチームの人間をアーセに呼んだりもしやすかった。なんか両輪で日本一に貢献しようと思っていたので、そういった意味ではまず早慶戦に勝った時にアーセがめちゃめちゃ火がついて、次にサマーで優勝して、トップチームに火をつけて、みたいなことができてたのはすごい良い循環だなとは思ってた。何より優勝してめっちゃ嬉しそうだったのがすごい個人的にも嬉しかった。
正直サマーで勝つって、後の公式戦と勝つとかとはまた別だからサマーに勝つことにはこだわるな的なことは松永さんとかからめっちゃ言われてたんですけど、 ちょっと欲が出て優勝しに行っちゃった節はあって。なんかあれは今思えば正しかったのかはちょっとわからない。結構俺のエゴだったかもなとは思ってて、早稲田とか結構サマー用の戦術みたいなの取ってくるじゃん。あれをもう正面から潰しにいった感じだった。 1人中に入ったらそいつは無視していいみたいな笑 こんな勝ち方でいいのかなと思いながら勝ったこともあって。しかも、結構点取れる人にボールとかは集中させたりもしちゃってたし。だからそういうのは今思えばどうだったのかなとはちょっと思ったりもします。けど優勝したその瞬間はすごい嬉しかったし、日本一を取る喜びを早い段階で 植えつけれたのはすごいよかったかなと思う。
前半はお楽しみいただけたでしょうか。
後編は一週間後の11月11日の投稿を予定しております。
乞うご期待ください。