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日記リレー

【日記リレー2024 VOL.29】「今を戦う理由」~藤岡凜大(4年/法学部政治学科/AT/#3/慶應義塾高等学校)~

副将の孝紀からバトンを受け取りました、藤岡凜大です。

孝紀とは共に今シーズンを駆け抜けてきましたが、この頃彼が副将で良かったとつくづく思います。例え結果が出ない時でも常に前を向いてチームを鼓舞し続ける姿を1年間貫いてきた彼は、このチームの太陽のような存在だと感じます。いつもありがとう。
ちょっと褒めすぎました、ただの元プレイボーイ、現彼女デレデレマッチョでした。駿平による塾高組いじりは最近一番のお気に入りです。

始めに、平素より弊部に関わってくださっている全ての方々に、心より感謝申し上げます。
私たちが日本一を目指せるのはそのための環境を作ってくださる方々、応援してくださる方々がいるからだ、という当たり前の事実を決して忘れない。そんな自分であり、組織でありたいと思います。

僕はこれまで沢山の先輩や同期の引退ブログを読む中で、引退を間近に控えた4年生が後輩やチームに残す言葉に自分を重ね合わせ、何度も励まされてきましたし、読むだけで彼らの4年間の軌跡を覗き見たような、なんだか不思議な気持ちになっていました。

孝紀の紹介文のせいでとても書きづらくなってしまいましたが、7年間のラクロス人生を振り返りながら選手として、そして主将としてラクロスに教わったことを素直に綴ろうと思います。

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「高校生の内にもう一回留学に行きたいから、そのために午後の時間を自由に使えるラクロス部にしよう」

高校入学当初、母親とこんな会話をした記憶がある。
中学時に留学した英国で、自分の価値観が日々壊され日々新しい自分に出会えるようなワクワク感を感じた。そのため日本の大学附属の男子校という閉じられた環境ではなく、もっと知らない世界に飛び込んでみたい。だから留学が優先で部活は2の次、そう考えていた。
もしそこで選んでいたのがラクロスではなく他のスポーツだったら、どんな学生生活を送っていただろうか。今でもそう考えることがある。

しかし、そんな思いとは裏腹に、ラクロスにどんどんのめり込んでいく自分がいた。朝練の後授業中に筆箱に隠したスマホで練習の動画を見て反省を出し、残りは爆睡して、放課後には多摩川の河川敷でボールが見えなくなるまで壁当てをして帰る毎日。

9年間野球をしてきた私にとって、英国で感じたような新たな自分に日々出会える感覚が、そこにはあった。

いつの間にか留学のことはすっかり忘れ、日々ラクロスに没頭し、高校3年時には主将を務めた。

大学でこそ留学したいと考えていたため、ラクロスは高校で燃え尽きる気だった。しかし、コロナ禍で目標を達成する場所が消え、行き場を失ったラクロスへの情熱が、大学ラクロス部の門を叩いた。

大学1年生。
高3の年末から大学の練習に参加していた私は、同期一番乗りでAチームに上がった。しかし、同期の小川健は入学してすぐ圧倒的な存在になり、落合は先輩から気に入られ、その間私はAとBを行き来しながらAチームでは萎縮するばかりで点を取れないことはもちろん、ほとんどの練習で一言も発さず帰っていた。

Bに落とされる度、一丁前に部屋のベッドで泣いていた記憶があるが、今考えたら他とコミュニケーションも取れない選手がAに定着できるはずもない。自他共に認めるちょうどAとBの間の実力に、まだ1年生だから、と満足しかける自分が不甲斐なくて、先の見えない長いトンネルを歩き続けるような1年間だった。

大学2年。
偶然が重なり呼んでいただいたU21の代表選考会でこれまた偶然が重なり、1回、また1回と選考に残ることができた。代表では慶應で聞いたことのない技術や戦術を教わり、ラクロスを始めた高校1年に戻ったような感覚でただただ必死に練習を重ねた。うどさんや奥村さんの教えが自分の狭い世界をどんどん広げてくれ、ラクロスの奥深さ、残酷さ、おもしろさ、そしてその先にある真髄に、少しだけ近づけたような気がした。

世界選手権では準々決勝で出場できないままチームが逆転負けを喫し、悔しい思いをしたものの、5位決定戦のサドンビクトリーでの決勝ゴールは自分のラクロス人生の中で大きな瞬間だった。

しかし、帰国後は代表だからと言って慶應での立場が確約されるはずもなく、リーグ戦に中々出られない期間が続いた。他の代表選手がチームを背負ってしのぎを削る中、それをベンチから眺めるだけの自分が情けなくて、リーグ戦の早稲田戦ではベンチで1人不貞腐れた態度を取った。試合後にコーチだった三四郎さんに叱られ、グラウンドで人目も憚らず号泣した。

その後も結局圧倒的な存在にはなれず、代表としてのプライドに追いつかない実力を自分で受け入れられないまま、シーズンが終わった。

大学3年。
昨年までの主力選手の多くが抜けた中で、私は幹部になった。必死に練習していれば上手くなれた去年までと違い、気づけば周囲への指導や組織運営に追われていた。

結果は関東Final4で敗退。半端な実力のエースが自分の成長をおざなりにしても勝てるほど、ラクロスは甘くなかった。

「敗北から何を得るか」

ラクロスがくれた沢山の教訓の中で、恐らく最も自分の壁となり、糧となってきた言葉だ。
スポーツにおいて大事なのは結果か、過程か。よく議論されるテーマだが、私は結果や過程と同等かそれ以上に“結果をどう受け止めるか”が重要だと思う。

もちろん、1年次の全学準決勝や3、4年次の早慶戦、そして先月の全学決勝などでの勝利や得点という結果が自信となり、同時に自らへの更なる期待やプレッシャーとなり、私を突き動かしてきたことは間違いない。だが、それ以上に多くの敗北を突きつけられてきた7年間だった。

1年次も2年次も部内での競争に負け、代表でも控えに甘んじた。3年次は半端な実力のままエースに押し上げられ、何もできずにチームが負けていった。決めてきたゴールの何倍も、沢山のシュートを外した。そのせいでチームは何度も負けた。

練習で上手くいかない期間が続く度、試合をベンチから眺める度、ライバルが活躍する度、自分のせいでチームが負ける度、何度も逃げ出したくなった。強がりで人を頼ることが苦手な私は、1人で抱え込んで、不貞腐れて人のせいにして、家族や周囲に当たったこともあった。

體育會に所属する私達は常に勝負の世界に身を置いている。その中で一回も負けを知らずに卒業を迎えることができる人は、恐らく1人もいない。試合相手や練習中の1on1の相手、そして同じポジションのチームメイトといつだって比較され、勝ったり負けたりしながら私たちは4年間を過ごす。むしろ100人以上の中から26人のメンバーを争い、全国の大学やクラブチームと日本一を争う慶應ラクロスでは、単純に考えて負けの確率の方が圧倒的に高い。

だからこそ、“負けた時にどう在るか”こそが選手として、そして人として大事だと思う。

他部活の試合観戦に行った際、恐らくほぼ一軍の試合に出たことのない友人がスタンドの最前列で声を枯らし続ける姿を見て、大学2年の早稲田戦の自分を強く恥じた。

誰だって負けるのは悔しいし、己の足りなさを受け入れることは苦しい。
周囲の期待を裏切り、思い描いていた理想とかけ離れていく自分が悔しくて、恥ずかしくて、いつの間にか環境や他人を言い訳にしながら上を目指すことを諦めていく。

だが、負けを認めず弱い自分から目を背けるだけでは、その敗北はただの結果で終わる。負けたけど精一杯頑張ったから美しい、と過程を肯定するのは簡単だが、単なる慰めに過ぎない。

だからこそ、まだ学生生活が残っている人、これから4年間を過ごす人はとことん勝負を挑み続けてほしい。

沢山負ければいいし、沢山挫ければいい。どんな敗北でもそれを受け入れ、己の弱さと向き合うことさえできれば、それは次なる結果への過程となる。例え仮に明日の試合に負けようと、慶應ラクロスというチームは続くし、私たち引退する4年生のその後の人生も続いていく。

ならば、これまでの自分を否定したくなるような敗北だって、次なる勝負までの過程にしてしまえばいい。

そうやって敗北から多くを学び、やっと掴んだ勝利にこそ価値があると私は信じている。

ベンチ外になった時のスタンドでの応援、チームが落ちて初めての練習、練習で上手くいかなかった帰り道、そういう場所にこそ自分とのもう一つの勝負が隠れている。そんな時に声を枯らしてする応援が、壁当てやジムに向かうその一歩が、未来の自分の大きな支えになる。

いつか勝利を掴んだ時、あの時の自分を誇れるように日々を過ごしてほしい。

大学4年。
私はこの部においてやや重大すぎる主将という役職を担うことになった。

正直、思っていた数倍過酷だった。
前年度関東Final4で負けたチームを1年で社会人を上回るチームにすることだけでなく、新歓から始まるアーセにも、BCチームにも、そしてスタッフにも、この組織には問題が山積みだった。

今年はフィールド内外で様々な試みを行ってきたが、それらが今年とこれからの日本一に通じているのか、結果が出ない時ほど変化を恐れ、守りに入りそうになる自分がいた。落合的に言えばそれらも全て立身出世のため、価値のあることなのだろうが、彼ほどのポジティブ人間ではない私は途方に暮れてしまいそうになることもあった。

シーズン当初、私は自分の持つものをチームに還元し、日本一へ導く強いリーダーにならなければ、などと烏滸がましくも思っていた。
だが、主将を務める中で同期や後輩、コーチ、そしてこの組織に沢山のことを教わっていたのは私の方だった。そのことに気づいた時、肩の荷が少し降りた気がした。

「単なるAチームのリーダーではなく、140人全員の主将であること」
主将になる上で自分に課した最低限の責務の一つだ。
1年と2ヶ月半という例年より少しばかり長い任期の中で、どのくらいこの責任を果たせたかは分からない。だが、去年までより格段に多くの部員と関わる機会があった。

今の慶應では、主力の選手の中にも下級生や下のチームに興味のなさそうな人をよく見かける。
だが、厳しいかもしれないが無関心であることは無責任であると思う。なぜなら、あなたが興味を持っていようがいまいが、既に多くの人があなたに興味を持ち、支え、側にいるからだ。

自分の競争に必死で、周りが見えなくなる気持ちはわかる。だが、そんな時ほど違う立場の人と話してみてほしい。この部活には140人もの大学生が所属している。それぞれ出身スポーツも違ければチーム内での役割も違う。日本一を目指す理由も、抱える悩みだって人それぞれだ。

もちろん、自分が勝ちたい、負けたくないという動機は大事だが、それだけでは立ち行かなくなる時が必ず来る。

何より、人は自分の為に戦う時より、誰かの為に戦う時の方が強い。

だからこそ、他者に興味を持ち、理解し、互いに要求し合い、共に高みを目指すこと。

そんな関係性が自分の苦しい時、楽に流れそうな時の戦う理由になる。こんなにも多くの人が同じ目標に向かって4年間を捧げる組織だからこそ、より多くの「今を戦う理由」を背負えることこそが、最大の強みになると思う。

そして、それは今周りにいる部員だけではない。
慶應ラクロスという組織の過去を知ろうとすること、未来を想像すること。
これらも私に確かな「今を戦う理由」をくれた。

日本において、このスポーツは38年前に塾高の教室で開かれた、雑誌の1ページから始まった。そして協力者を探し、用具を揃え、ほぼ独学で練習をしながら同時に他大学への普及活動を行ったのは慶應の学生だった。ほぼ情報のない競技に4年間を費やそうとする彼らの勇気、そしてそれをやり遂げた行動力が日本ラクロス界を拓いてきたことは間違いない。

そして現在に至るまで7回の学生日本一、6回の真の日本一。ラクロスを日本にもたらした開拓者としての志が時代を超えて受け継がれ、この競技を先導し続けたその証左が、そこにはある。
そして私たちはそんな先人たちの作り上げてきたチームに属し、その一員として大学生活を送っている。

初代OBの方から当時のお話を聞いた時、過去の慶應の試合をYoutubeで見た時、先輩方と共に日本一になった時、慶應で日本一を目指すことの意味が、私の中で一つずつ増えていった。

また、大袈裟でもなんでもなく、私はこの競技と出会って人生が変わった。ラクロスに魅了され、慶應ラクロスに憧れ、夢中になって過ごしたこの7年間は私にとって間違いなく人生の宝物になった。だからこそ、まだ見ぬ未来の慶應ラクロスの部員にとっても、強く、憧れる組織であってほしい。

当然だが、かつて20年以上も達成できなかった全日本選手権優勝という目標は、毎年単年の目標に固執するだけで達成できるほど簡単ではない。長期的な視点を持ち続けることでしか、この目標には近づけさえしないことは痛いほど理解している。

だがそんな義務感などではなく、新歓もコーチ入部もアーセ育成も鵜沼たちとの毎日mtgも、どれも今年の日本一にはあまり関係がなかろうと、将来の慶應ラクロスの発展に資することができているというその実感だけで、私の胸は十分すぎるほど高鳴った。
来年以降も慶應が日本一に上り詰める姿がスタンドや配信、広報を通じて多くの人を魅了することが楽しみで仕方ない。

今の仲間に向き合いながら、過去に誇りを抱き、未来を想像してワクワクすること。

これが、私の主将としての「今を戦う理由」だった。

もちろん、明日で私はこの部を去るし、来年以降部がどうなっていくかは分からない。この部には、学生主体だからこその危うさや脆さもある。だが、学生主体こそかつて日本にラクロスをもたらした開拓者から引き継がれる最も尊い系譜だと考えるからこそ、今後もその時の学生が自ら組織の目指す方向とその意義を定め、行動を起こしていってほしい。

そしてこれからの慶應ラクロスが、私がそうであったように、誰かの人生の転機たり得る組織であり続けることを願ってやまない。

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冗長かつ偉そうな自分語りになってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
恒例の感謝コーナーです。

澤本監督、井出監督へ、
特に今年はあれを変えたい、これをやりたい、など学生のわがままに沢山付き合っていただき、ありがとうございました。いつでも学生を尊重し、共に戦い、共に勝利を喜んでくださる両監督のおかげで、ここまで走ってこれました。これからの慶應ラクロスも、どうぞよろしくお願いします。

指導者の方々へ、
指導者の少ないマイナースポーツであるラクロスにおいて、本当に恵まれた7年間を過ごすことができました。
大我さん、遼翼さん、みやけいさん。そしてU21の時から沢山気にかけていただき、常にお手本であり続けてくれる奥村さん。皆さんの言葉や背中から多くのことを学びました。引退したらご飯に連れていってください。

幹祐さん
僕がラクロスを始める前からの日本のエースかつ慶應のレジェンド。そんな人の下で学生ラクロス最後の1年間を過ごせるとは思ってもいませんでした。幹祐さんの示す、日本一への確かな方向性が、チームを強くしてきたと思います。最後、憧れの人を日本一のコーチにします。

清さん
アイルランドでの眠れない夜から始まり、今年主将として日本一を目指す上で清さんは本当に欠かせない存在でした。清さんとは色んなこと(主に政治、たまにラクロス)を話しましたが、ラクロスへ向き合う姿勢も生き様も、全部大好きです。彼女さんに嫌われたくないので、連絡は程々にします。

先輩方へ、
生意気で絡みづらい後輩だった私をご指導いただき、本当にありがとうございました。先輩方と目指す日本一は眩しく、それを目指すことのできた3年間はとても価値あるものでした。こちらもご飯のお誘いお待ちしてます。

三四郎さん、幸四郎さん、
現役時も引退後もずっと気にかけてくださり、お二人のおかげで今の自分があると胸を張って言えます。慶應ラクロスに入り、選手としても人間としても心から尊敬できるお二人と出会えたことは、私の人生の財産です。これからもどうぞよろしくお願いします。

後輩へ、

1年生
恐らく4月には漏れなく全員から恐ろしい悪魔だと認識されていたと思います笑
選手も、スタッフも、来年が勝負の年です。月並みですが、何も考えずに過ごせばあっという間に終わってしまいます。私の尊敬する友人の言葉ですが、誇れる武器を、誇れるプロセスで身につけてください。
特にアーセのみんなとは、多くの時間を共にしました。出会った時は目を輝かせながらクロスを握っていたみんなが、今ではどこか決意に満ちた頼もしい表情でグラウンドに向かう姿を見ると、子供の成長を感じる親ってこんな気持ちなのかな、なんて考えたりします。違ったらごめんなさい。
3年後に日本一になった時、浦和合宿の夜のように、今度はみんなの4年間を聞かせてください。そして、肩を組んで「友よ」を歌いましょう。

2年生
ニヤニヤしながらこのブログを読んでいる人が多そうで腹が立ちますが、なんとなく私たちの代に似たものを感じます。生意気だし、舐めてるし、言うこと聞かないしで大変でしたが、それ以上に君たちの成長に日々驚かされた1年でした。
来年以降それぞれの場所で、より大きな立場を担うことになると思います。伸び悩んだ時、苦しい時、存在意義を見失った時は同期や先輩を頼ってください。これは去年私ができなかったことです。互いに支え合いながら、私たちの大好きな慶應ラクロスの未来を背負っていってください。

3年生
今みんなはどんな気持ちでこのブログを読んでいるでしょうか。明日の試合に緊張している人、もうすぐ近くに迫っている来シーズンのことで頭がいっぱいな人、その中でも特にグラウンドのことで頭がいっぱいな人。好きな本の一節ですが、不安は未来の自分への投資です。未来の光輝く自分に、沢山投資してあげてください。
来年がやばい、という声を君たちからよく耳にしますが、私はあんまり心配していません。既に互いに興味を持ち、要求しあい、高め合うことができてきた代だと思います。一つだけ言うとしたら、より高いレベルを知ろうとし、その環境に身を投じてみてください。君たちをより高いステージに連れて行ってくれるのはいつだって、一歩を踏み出す勇気です。
来年、たとえ途中で大きく転ぶことがあっても大丈夫。全力でぶつかり、そこから起き上がった時、君たちはもっと強くなっています。

同期へ、
私はみんなが思い描いた主将になれたでしょうか。
沢山の不満を抱えさせてしまったと思います。私を恨んでいる人もいると思います。
でも、少なくとも私にとって、同期の存在こそが私の一番の「今を戦う理由」でした。
今年1年で特に仲良くなれた気がしますが、それは単にチームが一緒になったからではなく、最上級生としての責任をみんなで分かち合い、共に戦ってこれたからだと思います。
みんなと日本一になりたいです。
引退しても、沢山会いましょう。

落合、拓馬、浜地、(陽世?)
ラクロスに出会った時、隣にいてくれたのがこの3人(と1匹)で良かった。1Aからのみんながどんな時も最大の理解者だと勝手に思っていました。
本当に救われました、ありがとう。
旅行の行き先は任せます。多分、どこでも楽しめる自信があります。
これからもよろしく。

そして両親へ、
沢山迷惑をかけてきました。世話の焼ける息子だったと思います。
どんな時も私の選択を尊重し、応援してくれる2人のお陰で沢山の経験をすることができました。
それぞれ格好いい仕事をしながら、最大限の愛情を注いでくれる2人の息子であることを誇りに思っています。
これからは少しずつ恩返しさせてください。

他にも本当に沢山の方々にお世話になりました。いつか心をこめて、直接感謝を伝えさせてください。

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明日、日本一が決まる。

先っちょに網のついたヘンテコな棒を初めて手にした時、僕らはどんな光景を描いていただろうか。

20年以上日本一の座を占めてきた社会人を倒し、歓喜の瞬間を迎えた時、僕らはどんな感情になるだろうか。

喜び、心残り、感謝、興奮、

そして、全てが終わってしまう寂しさ。

きっとその時の感情を表現することばなんて、僕らは持ち合わせていない。

でもだからこそ、そんな景色を見に行く価値がある。

その瞬間は、もう目の前まで来てる。
手を伸ばせば届くところまで。

だからこそ、慌てずいつも通り。
僕らは強い。
相手が日本代表でも、たとえ試合が劣勢でも、僕らは140人がそれぞれの場所で、輝く力を持っている。

掴み取ろう、全員で。

本当に、夢のような時間だった。

明日、日本一が決まる。

さあ、夢の続きを見に行こう。

これにて今年の日記リレーを終わりにしたいと思います。4年生29人の想いをご精読いただき、ありがとうございました。

2024年度主将 藤岡凜大

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