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日記リレー

【日記リレー2024 VOL.17】 「プライスレス」~野田凜太郎(4年/総合政策学部総合政策学科/C/慶應義塾湘南藤沢高等部)

バトンを受け取りました。アーセナル(一年生チーム)コーチを務めております。野田凜太郎です。お待たせしました。

太輔、紹介ありがとう。
たしかに彼との出会いは確かに中学受験でした。何校か同じ中学を受け、ただ試験会場で何度か会っただけでしたが、慶應受験後の大戸屋では気づいたら一緒に昼ご飯を食べていました。今ではお馴染みの、肩を上げて、目をぱちぱちさせながら「やらかしたわ」と言いながらも、変な小鉢をトッピングしていたので腹が立ちました。そこから友達歴10年、共通フォロワー500人以上、中学から同じ部活の腐れ縁ですが、なーんも変わってなくてすごく安心します。最高です。
そんな彼のブログを読むと、これまでの天然ボケが全て計算されていととしか思えないほどアツく、聡明な文章だったので凄く冷めました。彼との伝説は寺町のブログ10個分くらいかけますが、これ以上言うと彼が彼の上に常にいる例の人に激怒されて可哀想そうなので、辞めときます。
ちなみにお酒片手に人生を語らうことは大の得意なので、僕以上に自信がある方、いつでも待ってます。
太輔、これからも一生よろしく。

まず始めに、平素より弊部に関わって下さっている皆様、応援してくださる皆様、有難う御座います。
特に今年はアーセコーチとして、監督やOBの方々、また全国の他大学ラクロス部と関わらせて頂く機会が多く、どれだけ慶應ラクロスが多くの人に支えられ、注目されているかを強く実感しました。感謝してもしきれません。
今後とも変わらぬご支援の程を何卒宜しくお願い致します。

さて、自分の番が回ってきました。引退、というこれまでの日常が終わる瞬間が近づいてきて、僕は顎関節症ではないですが空いた口が塞がりません。
日記リレーは中学時代に読んでいた大学ソッカー部の先輩方の引退ブログから始まり、大学時代のラクロス部の先輩方まで、4年間の努力の集大成であるこのブログを通じて表現するものに毎度感動し、モチベにしてきました。書き始めたらそのまま止まらず、非常に殴り書きになってしまいました。拙い文章ですが、拙い文章越しでもアツさは伝わると信じてます。
普段あまり自分が考えていることを人に伝えることは好んではしないのですが、自分にしか書き残せない事も多くあると思うので、この場を借りて自分がこれまでの活動を通して普段から思い、考えていたことやコーチになってから感じることを正直に綴る場にしたいと思います。
少し理解できないところもあると思いますが、教え子たちはもちろん、お世話になっている多方面の関係者の方々にも読んでいただけると幸いです。

「決断」
皆さんは大学生活を注ぐものをどのように決めましたか。
社会に出る前のこの大事な4年間を何かに捧げる選択はどのように決めましたか。
振り返ると、私はラクロス部で2度大きな決断をしました。

最初は、ラクロス部員として大学生活を過ごす決断です。
当たり前のようですが、当たり前じゃないです。

高校時代まで14年間サッカーを続け、弱いながらに大所帯の主将を務めてやり切った私はそもそも大学で体育会に入るつもりは全くありませんでした。ずっと憧れていた2年間の交換留学か、大学に通いながら世界中を旅するバックパッカーになろうと思っていました。しかし、私が入学した2021年は運が良かったのか悪かったのか、世は大コロナ禍でしばらくは海外などいけないだろうと言われ、計画が白紙になりました。ちょうどそのタイミングで元々友人であった太輔や壮英、荒瀬、谷らとノリで参加した体験会でラクロス部に惹かれ、気づいたら入部していました。

4歳から続けていたサッカーは、強い憧れはあったものの日本一とは程遠い景色でした。そんな遠かった日本一の景色を慶應ラクロスでなら見られるんじゃないか。どんな景色なんだろう。

そんな人一倍強い好奇心が入部の動機だったと思います。

自分が入部した時には、すでにトップチームで試合に出て活躍している経験者や高校時代から入部を決め経験者から教えてもらいすでに上手いアーセ組が無数にいるように見え、「ラクロス」という語呂さえ知らなかった自分の覚悟は大きく足りていなかったことを痛感しました。
ラクロス自体は非常に面白く、日に日に上手くなる感覚と試合でたくさん点を取ることが楽しくて、好き放題にラクロスをしていました。

しかしサマーが終わりロングに転向した頃、海外渡航の制限が緩くなり、元々するはずだった留学や他の活動の選択肢ができました。
正直、この瞬間を待っていた自分もいて、入部当初から仲良くなると辞めづらくなるからと、同期の巧みな、お笑いが面白かったのを必死にこらえていたのを覚えています。

この時期は、自分の目標の為にも部を離れるべきだと考えるようになりました。ただ、継続か退部の2つの選択肢を何度天秤にかけても答えは出ず、ラクロスで日本一という夢を道半ばで諦めたくなくて、1ヶ月くらい悩んだ末に部に残る選択をしました。ここでようやくちゃんとラクロス部で4年間を過ごす、という1度目の決断をしました。



そこからはひたすら自分が誰よりも上手くなって、誰よりも早くリーグ戦で活躍することだけを考えて練習していました。
それまで人並みだった自主練も、全部自分でメニューを考えて壁あてとチェック練、グラボ練を毎日やり、オフボールを武器にするために練習前後に自チームとトップチームの練習を見る習慣をつけました。
そして、グラウンドでは1on1の強い同期や先輩から技術を盗んでいました。
2年目のシーズン初めにたまーに呼んでいただいていたAチームの1回の練習の充実度に衝撃を受けてそれだけでは足りないと思って、最初は嫌々でしたがそのシーズンの後半には先輩やDF同期と2部練で他チームの練習に毎日行っていました。この1年が1番上手くなりました。1ヶ月オフがないこともよくありましたが、習慣になると当たり前になるのでそれ自体は辛くなくなります。先輩も好きだったし、楽しかったです。
ラクロスに触れる最初の段階で、高いレベルで自主練や動画見、筋トレを楽しみながら習慣にできることは非常に大事であることを学びました。これが、僕が今年のアーセの最初の3ヶ月のテーマを「最高の当たり前を作る」期間にした理由です。

ただ、そのシーズンは、他の同期アーセがCに多かったシーズンで自分はほとんどの期間を上手い先輩ばかりだったBチームにいたものの、周りを見るとアーセ解体まで実力同等だと思い込んでいた同じポジションの豪やたかのりはすでにトップチームでリーグ戦デビューを果たし、健とたくまなんてさらにその上の存在でした。
そして何よりも、だんだんと「上手くならないとやばい」と追われるように練習をするようになり、最終的には自分を追い込むように練習をし、楽しめていなかったことがしんどいシーズンでした。

「本気でスポーツをやるなら、本気でラクロスをやるなら、自分は絶対1番になりたい。」
ただ、たかのりや豪は学生日本一を連覇した当時のトップチームのレベルの高い環境で何倍ものスピードでずっと成長し続けている。
(自分の中では彼らと実力は遜色ないと思っていました。)
健は1年生の頃から全日本選手権まで全試合出場して、そのメンバーの中でもなんかすげーDFのMVPみたいなの獲っている。
「あれ、なんか1番になれなそうじゃね」

みんなは気づいていたかもしれませんが、僕は2年目のシーズンが終わる間際、3年目に入る直前でようやく気づきました。
スポーツでこれほど劣等感を感じたのは、幼少期オーストラリアに住んでいた時に昼休みのバスケで、小学4年生にして180cmある大男に真正面からダンクされた時以来だったので衝撃でした。
余談ですがその大男には「い〜や、どうやって勝つねん!」って日本語でツッコんでしまいました。
少しの間、オーストラリアで関西弁が流行りました。

そしてそんなことを考えていると、3日で治るような本当に軽い怪我をし、おそらくただの実力不足でしたが確かそんなことを理由に2年生の終わり際、Cチームに落とされました。

言い訳でもなんでもありませんが、この時にどう言う人がラクロスが上手くなるのかを僕なりに考えました。
少し話から逸れますが、これから上手くなるべき人や今くすぶってる人の参考になればいいです。すごくシンプルです。

まずは、ラクロスが大好きな人です。
これは単純すぎるので深掘りませんが、ラクロスが上手くなるには主体的な努力を継続することが大事です。特に時間が限られている大学からの初心者はなるべくラクロスに触れる時間を増やすべきであり、好きであれば時間も忘れて向き合えるし、コーチや周りのメンバーに言われなくても継続できます。
そして、今年は多くの他大学の選手を指導する機会をもらいましたが、キラキラした目をしてくれると指導者としてもコミットしたくなります。

そしてもう一つは覚悟を持った人です。
ただ、その強さと早さが重要だと感じます。
何を犠牲にしてでもラクロスが上手くなりたい、活躍したい、日本一になりたいという強い覚悟を持ち続けられる人は自然と死ぬほど練習します。
覚悟を決める時期も大切です。これは間違いなく早ければ早いほどいいです。塾高組が上手いのは、早い段階から大学ラクロスで活躍することを常に想像しながら練習できること、そして真の日本一のハードルの高さを知った上で入部できるからだと思います。同期同ポジションでうまくなったたかのりや豪も入学前から目がギラついて覚悟は決まっていたし、豪なんか健がラクロスを始めた瞬間からラクロスを意識したのではないでしょうか。

これはラクロスに限った話ではないので、どの世界でも活躍できる人って共通するところがありますね。

これを読んでいるアーセの子達や仮入部に来てくれていた大勢の子たちは、入部時という早い段階でなぜあれだけ覚悟や姿勢にこだわっていたのか少しは理解してくれたと思います。もちろんいろんな人の大学人生を背負う気持ちで全員と向き合いました。
他のライバル達も大学生活を賭けて努力する中で、真の日本一や経験者を抜いて一番になる事は、非常に価値あることですが、想像よりもハードルが高いことです。
あの面談を通じてラクロス部の4年間をなんとなくでも想像して、少しでも早い段階で強い覚悟を持つきっかけになったでしょうか。

そして、慶應ラクロスのアーセ内の同期ですら一番になれないことをなんとなく悟った僕は、2年目のシーズンが終わったシーズンオフに3、4年目のチームへの関わり方を真剣に考えました。
なぜラクロスをしているのか、自分はこの部で何がしたいのか、日本一を目指す理由やその先に何があるかまで。

そして深く考えると、根底にあったのは僕の中の軸です。

僕の中の軸、
行動指針は「幸福の追求」と「人間としての成長」です。

某落合君のブログを読んだ人はわかると思いますが、完全に被りました。いや、前々から僕はこのテーマについてだけで日記リレーを書こうと思っていたので、マジで被せられました。最悪です。
ただ、有難いことに概要説明は彼のブログでしてくれているのでぜひもう一度読んでください。

別に普段から「幸福の追求」と「人間としての成長」を常に意識している頭固人間ではありませんが、これまでの大きな選択を振り返ると必ずこの2つが選択の決定打になっていました。

まず「幸福の追求」について
前提として、「幸せ」の軸がブレずに生きている人間を僕は「かっこいい人間」だと思います。部内でよく言われる、雑用や自主練など当たり前の事を続ける事ができる人をかっこいいと思うのは、慶應ラクロスや自分の中の基準が下がっているだけです。
このラクロス部という同じ目標を持っている人達だけで見ても、130人余りの部員が皆違う幸せの原動力を持っているなと感じます。
主力として活躍するために頑張り続けるやつ、下のチームでも主体性を持って頑張れるやつ、頑張れない人、スタッフとして地味な仕事も頑張り続けられる人、そして自分が上手くなるわけでもないのに選手以上に頑張るコーチ達。皆それぞれ違う幸せの軸を持っているから違う原動力で頑張り続けられるのだと思います。そして逆になんであの人あんなにあそこで頑張れるのだろう、あんなこともやってくれないのだろうと考えが衝突するのもこれが原因なのだと思います。
だから僕は選手を続けたいと主張し続けていた秦(同期ロング)を本心からかっけえ奴だなと思っていたし、(その当時だけ)、僕の幸せとは真反対だったからこそ自分の意見を押し付けずにずっと応援していました。(その瞬間だけ)
力になりきれずごめんなさい。

そして、僕は周りから何に対して「あいつなんであんなに頑張れるんだろう」と思われているか考えた時、僕の場合は、小さい頃から人を喜ばせることが大好きで、一人でも多くの人を幸せにできる事が自分の幸せだなと本心から思います。だから一人でも、少しでも多くの人に必要とされる場所に僕は喜んで飛び込みますし、それが今でも原動力になっていると感じます。
「自分の置かれた状況や役割を客観的に捉え、自分がやりたいかどうかではなく、チームのためになるかどうかで行動をする人はとてもかっこいいと思います。」
一昨年の主将である貝柄海大さんの言葉ですが、僕はこれを追求することが自分の幸せに繋がります。
海大さん、今年もアーセ練たくさん来てくれてありがとうございます。すごく嬉しいです。最近すごく見ていないので、ぜひ来てください。みんな待ってます。

そして「人間としての成長」について。
現状、慶應ラクロスは経験者がいながら他大学と大差ない戦いをしてしまっていることは完全にアーセナルの力不足だと感じています。
アーセナルだけで日本一を取れるチームがあり、その上で経験者組が加わり日本一の競争を生ませる。それでこそ経験者のいる慶應ラクロスのアドバンテージだし、それが当たり前の「在るべき」姿です。
小川豪君のブログでも近しいことを言っていました。

選手であれば、自らが活躍することで慶應ラクロスの日本一に導ける。その努力の過程でも日本一の「ストレス環境」で自分を強くできるし、そのためにこれまで努力してきた。

コーチであれば、その一年生たちを全責任を担って指導できる。この大事な役割を、慶應以外の強豪大学では有名な指導者や日本代表級の選手がコーチをする中、慶應では適任だと周りから認められればラクロス歴数年の選手だけで任される。

そして、僕はコーチになる決断をしました。

怪我も何もしていないのに、2年目のシーズンが終わり、3年目が始まった頃には完全に心に決めていました。
自分の同期も、アーセの子達もおそらく必要としてくれるだろう。
超絶責任感があるし、裁量もある。また、過去にいくつかの組織のリーダーを務めてきたけれど、感情や言葉で強く人を突き動かすことが苦手である。
そしてこれまで全くやったことのない「教える側」。
これまで何度も考えましたが、「幸福の追求」と「人間としての成長」を考えると自分にとってこれほど絶好のポジションはありませんでした。
ピッチでスタメンとして出場し続けることとコーチとして自身の殻を破りスーパースター達を育成すること。この2つを何度天秤にかけても、どうしても後者の方が僕には眩しいほど輝いて見えました。

そして、この道を正解にするために、
全てを犠牲にしてでも結果を出す。
アーセの力で日本一を取る。
そして入部してくる一年生や慶應ラクロス関係者を幸せにする。
やると決めたからには、教え子達には一度しか無い大学生活で最高の環境で最高の経験をさせてあげる。

当時は絶対アーセコーチをやりたいと考えてこの決断をしたので、これが決断した際に自分の心に決めたことです。

そこから今年は慶應の新人育成コーチとしての自覚と責任を持って行動してきました。

アーセコーチになることが正式に決まった11月から半年間、実際に去年のアーセナルやB,Cチームのコーチをさせていただいたり、新歓をひたすら頑張ったりと本当に地道な準備を続けました。
大学での研究も「人を突き動かすリーダーシップ」と「プロアスリートのメンタルの作り方」みたいな論文を書いていました。因みに今は「受動から主体性を生み出す方法」について書いています。

そして今年の4月になり、新歓の甲斐もあり多くのポテンシャル溢れる新入生が入部を決めてくれました。彼らとラクロスをする1年間と、3年後の未来を想像して毎日ワクワクが止まりませんでした。

ただ、実際に本格的な指導が始まると、自分の自信や熱量とは裏腹に本当に上手くいかないことばかりだし、助けてくれる同期もいないしで参りそうでした。これまで17年間、スポーツは完全に「やる側」の人間だったので、どうすればうまく伝わるのか、上手くなってくれるのか、ラクロスに熱中してくれるのか、本当に毎日考えました。

アーセナルチームも、「日本一の新人チーム」という目標が明確に定まり、「チームが日本一を目指すのであれば、指導者である自分は日本一の指導者にならなければいけないし、手を抜いてる姿を絶対に選手に見せてはいけないな」と確信しました。

そこから、まずは自分自身が少しでも成長するためにいろんな指導者の方の本を読んだり、直接お話を聞きに行ったり、沢山の大人にお力添えをお願いしたりしました。
どの話も本当に魅力的で、ラクロスという世界の広さを知るとともに、スポーツの指導者とは本当に美しいものだと心の底から感じました。

そしてスポーツ指導未経験の私が、日本代表や今後の慶應ラクロスを背負って日本一を獲る選手を育成するために心に決めた事が一つあります。

それは、
「我が子のように愛情を持って接し、心の底で誰よりも熱量を持つ」
事です。

有名なコーチや指導者の本や話では、「選手とは一定の距離を持ち、威厳を作るべき」や、「接点は『量』より『質』」などと言われていますが、
「接点なんて持てるだけ持ち、選手よりも何倍も頑張る」
というのが僕の持論です。
これが正しいかどうかなんて、今の自分にわからないですが、素晴らしい「質」をもって洗練された指導なんて到底できません。
ただ、そんな僕が経験豊富で優秀な社会人指導者達に勝てる唯一のフィールドだと思いました。
なぜなら私達学生コーチは平日に仕事はないし、授業やバイトで拘束される時間なんてほとんどないから100%の力を彼らに注げますし、友達はいるけれども引退してから存分に遊べる時間があります。

コーチとして日々愛情を持って接する、判断を間違ったとしてもその意図を聞き切る、細かい部分まで見てあげる、メンタル・モチベケアをする。そしてみんなが選手としてtry&errorを繰り返して成長すると同時に自分もコーチとして高い質で成長する。
僕がずっと心掛けていた事です。他にも書き切れないほどあります。

これだけ自分でわかっていても、実際には変なミスをすると怒ってしまい、愛情を持ってみんなを見すぎて機嫌をとりに行ってしまうこともありました。その度に「またやっちゃったな」と反省する一年でした。

コーチは、どれだけ自分の努力の量や、選手から人気があるからと言って、評価される仕事ではありません。どれだけ嫌われてでもいいから教え子がラクロス選手として、人間として成長して初めて評価されます。だから、今年自分が少しでも指導に関わったB,Cチームのみんなや全国の一年生、そしてアーセナルのみんなが結果を出すことで、初めて、自分の道が正解だったと胸を張って言えます。なので、まだまだ道半ばです。

ただ、素敵な仲間たちに出会い、素敵な経験ができて、
「ラクロス部に入部する」
「アーセナルコーチになる」
という決断をして良かった、というのは心の底から言えます。

無難な言葉に聞こえますが、これはあの時本気で悩んで、それから今まで本気で取り組んだからこその結果であり、あの時中途半端にしてたら間違いなくこの道を選んで後悔していたと思います。

もし、みんなにも自分のした決断が不正解だと思う瞬間があったとしても、それは正解だと思えるまでの過程です。
というかどの決断もその瞬間に正解になることはなく、本気で向き合わなって苦労した先に正解があるのだと思います。

あと約2ヶ月で、僕らは引退です。
僕はまた新しいステージで、好きなことに熱中して、好きなことを好き放題します。
短い人生、全力で生きてなんぼです。

みんな、やったりましょう。

ここまで自語りを読んでいただきありがとうございます。
新幹線でそろそろ新横浜に着くので、最後に感謝の言葉だけ添えさせてください。

まず、昨シーズンの先輩の方々
コーチになることをほぼ決めていたのにそれを明かさずに、シーズン初めから最後までBチームの1,2枚目という底上げすべき立場で「ダサい人間」をしていました。怪我人が出て何度かトップチームにあがっても特段頑張らず、コーチとして成長するわけでもない中途半端な立場で、非常に後悔しています。チームの勝利に全く貢献できず本当にごめんなさい。

これまで指導してくださったコーチの方々
アーセコーチの方々(中村さん、諸岡さん、北尾さん、あきともさん)、颯太さん、中高時代のコーチや小学校のサッカーコーチまで、僕を育ててくれた数え切れないほどいるコーチの皆さんのお陰で今があります。そして先輩方みたいな愛情と責任感のある人になりたい、超えたいと思ったのがコーチに興味を持ったきっかけです。この恩は後輩に引き継ぎます。有り難うございました。落ち着いたらまた、色々お話させてください。

井出さん、澤本さん、柴田さん、長谷部さん
いつもお力添え有り難うございます。大人の方々の指導力に感銘を受ける1年でした。皆様のおかげでアーセナルも、僕らコーチも日々楽しく、成長できているなと感じます。有り難うございます。

未来のアーセコーチたち
ラストシーズンをアーセコーチとして過ごすことは、恐らくどのポジションよりも大変です。
一度もコーチングをしたことがない立場から一転するし、何より仕事量がハンパないです。4月からは就活もほぼできないし、1年間全てをアーセに捧げる覚悟がないと務まりません。ほとんど表面化していませんが、俺と鎌田からそろそろ来るであろう引き継ぎの量には震え上がると思います。
ただ、これだけ責任があり、影響力のある立場は慶應ラクロスにおいて役割上は主将と同じかそれ以上だと本気で思います。(今年のりんたの貢献度は凄まじいですが、役割としての話です。)だからこそ本気でやれば、やり甲斐しかない最高の役割です。頑張って。

他大学の学生コーチ達
今年一年間ありがとう。心の支えであり、ライバルでした。あと少し頑張ろう。
そして必ず世代を牽引するスーパースター達を育てよう。

一年生の親御さん方
大学で急にラクロスをやると言い始め、高い部費や防具代、早過ぎる朝練や食事面など、多方面からサポートして頂き有り難うございます。それに見合うラクロスの成長、そして人間としての成長をさせないと、という思いが原動力でした。息子達がリーグ戦で輝いている姿をすぐに見せるので是非応援にいらしてください。これからもサポートの程、よろしくお願いします。

部員のみんな
ファッションデザイナーのクリスチャン・ディオールさんが、
「最も完成度の高い服とは?」と聞かれて、こう答えていました。
「デザイナー、パタンナー、縫い子、販売員、消費者、それぞれに この服は誰のもの?と尋ねられたときに、全員が『わたしのもの』と答えた服。それが最も完成度の高い服である。」と。
追加で、
「過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる。」
さっきTikTokで流れてきた名言です。

コーチになってわかりましたが、この部は非常に未完成です。不満や疑問、熱意があるなら全部自分がやってやりましょう。
慶應ラクロス部員にはその意識が足りないし、僕たちは間違いなくもっと強く、もっと良いチームになれます。

同期
真面目じゃないからプライベートだけ会いたい人と、真面目すぎてプライベートは会わなくていいやと思う人がちょうど半分ずつですが、みんな大好きです。
僕は祈ることしかできないですが、日本一獲ってください。
社会人になったら花金は「シチ、ハチ」じゃなくて「シチ、ロク」で。

BCでくすぶっている人達
意外とチャンスはくるし、見られています。
僕みたいに毎日BCの動画を見ている人も意外と多いです。
いつでも頑張り期です。頑張ってください。

スタッフへ
仕事の量、正確性、複雑性に驚かされた1年でした。自分の結果が変わる訳ではないのに頑張り続ける人やっぱかっけぇっす。
選手のみんな、もっと感謝してスタッフの声ですぐに動きましょう。

りんたへ
すごく言いたくないけれど、プレーもチーム作りもエグいです。今年1年すごく助けられました。毎回迎え行くから週5アーセ練で。

鎌田へ
今年一番お世話になりました。これまで毎日のように一緒にいていろんな話をしてきましたが、表に出す出さないはさておき、結局根本にある育成に向き合う熱量が合っていたからこそ、ここまでこられたのだと思います。
発信力とか、ネットワークとか、日々の地味な連絡事項とか、自分が足りないところを全部補ってくれて、まじ頭が上がらないです。任せっきりでした。
そして、僕は鎌田によってラクロス沼に落とされたうちの1人です。暇になったらショートで壁あて行ってるし、ラクロスの動画を毎日見漁りすぎて寝不足でいつも朝練行ってます。
ちなみに、鎌田は不意打ちで超おもろい時あります。それを引き出せるのは僕だけなのかもしれません。

アーセナルのみんなへ
これまで本当にたくさんの事を伝えてきたので、ここでは箇条書きと何名かに少しだけ。
1, ラクロスでもなんでも、何かに本気で取り組んだ期間は「将来の自分へのプレゼント」です。やるなら全力で取り組みましょう。
2,コーチと選手の関係は、上司と部下ではありません。上も下もないです。関わり方が違うだけで、目標は一緒です。ただ、僕らが責任を取ります。自由にやってください。みんなが楽しそうにしていると、泣くくらい嬉しいです。
3,ラクロス部には一定数ダサい人間がいます。僕は嫌いじゃないですが、みんなの成長に必要ないと思ったらより自分の成長を促してくれる人達と行動しましょう。来年以降、特に大事。
4, こっちも全精力を注ぐので、全力でぶつかり合いましょう。
5,ウィンター優勝してみんなで体重90kgの鎌田と100kgの安藤泰征を胴上げしましょう。

アーセDFとその他数名
たいし、ポテンシャルの塊。ただ、自分の弱みにも向き合おう。
たっちゃん、うちの技巧派。まずは強い地盤と賢そう感を作ろう。
りょう、オフボール、意欲、賢さ、良え。続けましょう。自分が困るから増量。
みきや、ロングが天職だと思う。向き合う姿勢、必ず続けて。気づいたら高いところまで来てるから。
ケニー、チェック上手いし、アツい。今後、自分に絶対負けないこと。
東澤、これまで個人的にいろんな話した気がする。俺の同期友達みんなの期待を背負ってます。活躍したらまじでアツい。
たいち、テラになろう。オフボール頑張ろう。
しゅんや、まじで上手くなってる。怖がらないことと、とにかく愚直に。
たいせい、規格外。上手い人、自分と似てる人を真似しよう。期待してる。
りゅうと、たくと、たかと、まじ頼むよ。
しゅうと、最高。
門井、最高。
はやと、ショックすぎて車擦りました。待ってるよ。ロス五輪目指してね。
他のみんな、まじで上手い。個別で送るから許して。鎌田と2人で誰よりもみんなを応援してます。あと、明日の合宿でみんなのアツい話も聞かせてね。

両親へ
ダチみたいな母親とハイT意識高い系父親ですが、文字では表せないほどの感謝があります。これまで支えてきてくれて、ほんまおおきに。
兄弟は上と下が大遊び人、真ん中の僕は大真面目でバランス良くて、親戚みんな癖あっておもろいし心の底から2人の息子で良かったと小さい頃からよく思っていました。
ちなみに題名の「プライスレス」は父親の口癖で、海外旅行に行く度にそれしか言わなくなります。確かに人生「プライスレス」だと気づきました。
生まれてから今まで「搾取」しかしていないので社会人になったら、恒例の3人飲みは連れて行く側になります。楽しみにしててください。
誰よりも2人を尊敬してます。

次は、野村龍之介(akaノム、akaりゅう、akaコーイチTV 、aka豊本です。)
このラクロス部の4年間の中で腐るほど時間を共にしたマブですが、1度目の提出では完全にこの部分を忘れていました。ごめんな。
でもそれが1番の彼を表現する手法かもしれません。

ラクロス部でありながら、彼といる時はラクロスのことを忘れられる最高のチル友です。
ほとんどの練習の行き帰りを共にした太輔からのむにバトンを引き継げて幸せです。そんな彼のケズさやモラルのなさが文章越しでも伝わってしまわないか非常に不安ですが、文章は全く想像がつかないのでその分興味はあります。
コンプラ違反だけはやめてね。ほんとに。
それじゃ、りゅうよろしく。

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