【日記リレー2024 VOL.16】 「喉元過ぎても熱さ忘れるな」~長瀬太輔(4年/法学部法律学科/FO/#15/慶應義塾高等学校)~
平素より皆様には大変お世話になっております。法学部法律学科4年の長瀬太輔と申します。
キミアキ紹介ありがとう。
ご覧いただけば分かる通り、人望を一身に集め周りに影響を与え続ける彼の存在がなければ僕の生活はいかに堕落していたことか。きっと、いや間違いなく僕の在学中の読書量は文字通り0だったでしょう。荒野行動は僕の中学からの友人荒瀬君に唆されて一瞬はまっただけなんで、子供みたいな趣味してるねって思った人はぜひ認識を改めてください。これは荒瀬君の趣味です。
「声!あほ!まぬけ!」
と精一杯ネガキャンしてみましたが本当に非の打ちどころのない彼は、悩める後輩たちを家に呼んで悩み相談に乗ったりするそうです。僕はFOユニットの後輩たちですら手に負えないというのに。TPOをわきまえず声がでかいのだけは一緒に治していこう!まずは自認しているということで僕が一歩リードです。
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はじめに、平素より慶應義塾大学ラクロス部を支えてくださっている関係者の皆様。日頃より多大なるご支援・ご声援をいただきありがとうございます。
また本大会の運営に携わっている日本ラクロス協会や関係者の方々にも感謝申し上げます。
さて本題に入らせていただきます。
寺町、駿平、谷、キミアキを筆頭に皆が読むだけで人となりが一発で分かるような個性あふれる文章を書き上げ、華々しい慶應ラクロス部人生について語ってくれました。
でも僕は努力といった類のものは言葉にするとその熱や深みが失われてしまう気がするので言葉にしたくありません。文字に起こしたらそれ以上でも以下でもなくなるので。
本文では軽く僕のアスリート人生を振り返りながら別角度からラクロス部について考えたいと思います。これがこれからの慶應を築き上げる上での僕の存在価値になると信じているので。
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就活で幾度となく聞かれた
「なんで大学からラクロスを始めたの?」
という疑問は僕の人生を知っている人なら誰しもが持つだろう。
自分が強豪にするんだと意気込んで入部したSFCサッカー部で活動する中、全国大会常連の近所の中学の選手たちに影響され、強豪でプレーしたいという衝動が抑えきれなくなる。そして受験を経て慶應義塾高校へ入学した。
受験勉強から解放された私は何を勘違いしたのか、吹っ切れたように勉強から離れサッカーが全ての生活を送る。(今から振り返ってみると部活後に部室に3時間近く籠ってみんなでゲームに熱中したり、オフを毎回狂ったように映画に捧げたり、こんなもんでサッカーに捧げたっていうなという耳の痛い意見が現役ソッカー部のみんなから浴びせられそうで恐ろしいですが。)
とにかく高校の途中までとんとん拍子で調子を上げ、ほとんど挫折を味わってこなかった僕だが、結局1年の冬からほとんどAを経験することなく現役を引退することになる。
「ライバルたちは見えない間にも努力をしている」
がむしゃらに走り続ければ必ず血となり肉となり、ひたすら繰り返せばいつかは報われると信じていた自分は焦ったように茅野とランニングに行ったりあざみ野の暴君たちと練習しに行ったことを覚えている。それでも小学校からずっと夢に見ていた選手権の予選でベンチに呼ばれることはついに一度もなかった。
そんな現役生活も突然終わりを迎える。
桐光学園との死闘の末延長後半での決勝弾が自陣ゴール右上に突き刺さる瞬間はまさに静止画のようだった。
試合後泣き崩れてる森田や最後まで全力を尽くした仲間を目の前に、自分は立ち尽くすばかり。涙は一粒も出なかった。泣く資格とかじゃないけど、単純に泣けなかった。
けど塾高ソッカー部が大好きだった。
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こんな苦い経験からも実は色々なことを学んだ。存在価値の追求、チームを勝たせるための行動に伴う覚悟。そして
「愛されるチームとは何か」
これらの学びを胸に、今度こそは選手として活躍することを夢見て、いや決心して、日本一のラクロス部の門をたたく。大学から始めても経験者に追いつけるらしいし、チームとしては日本一。こんなに輝いて見える部活は他になかった。並々ならぬ覚悟をもって入部し、練習に励んだ。
引退直後から壁当てに行き、自己流でスキルを磨いたことで変な癖がついて今でも足を引っ張っていたりするが、それでもサッカーよりも強みは分かりやすく、幾分か努力もしやすかった。
「ダッジを極めて4年で絶対に早慶戦に出る」
そんな矢先、基礎固めの一番大事な時期に経験する人生初の骨折による長期離脱。次第に戦術にはついていけなくなり、ウィンターの出場時間はほんの数秒間にとどまり、あすなろでもほぼ出番はなかった。よくふてくされて壁当て中は文句ばっか垂れてたのを覚えてる人もいると思う。2年に上がってからは多少よくなっても試合に出場する機会はほぼなかった。けど一度も部活を辞めようと思ったことはない。今振り返ればただ視野狭窄に陥っていただけなのかもしれないが、それでも後悔はない。自分の持つ可能性を自分が真っ先に切り捨てるなんてマネはできるわけがなかった。
だからもがいた。慶應の圧倒的な精神的支柱であるビクターさんとFOファミリーのパパの松澤さんのもとで2年の秋からFOに転向。今後の慶應ラクロスを客観視したうえで、チームを勝たせるための自分なりの覚悟の決断だった。
それから長町さんに半ば強引に入れられたような気もするが、少しでも役に立てるならと大会委員にも参加した。
しかしFO生活も全く持って順風満帆ではなく、同時に転向した鎌田と増成は努力の鬼だし、ふたを開けてみれば現役生活中避けては通れない世代最強格の陽世と春海の壁は果てしなく高く、試合に出ればFO勝率が低いとみんな笑い飛ばしてくれるけど不甲斐なくて。後には才能あふれる関西人と磨けば光る寺の坊主、かわいいけど生意気な一年生も入ってくるし。自分のラクロス人生はひたすら「焦燥」だった。
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時は最後の早慶戦の前夜。
ずっと憧れてた舞台。陽世から個人ラインで送られてきた決意と励ましのメッセージを読んでじわじわと現実に引き戻される。結局一度も早慶戦に出ることは叶わなかった。
でも日本一のラクロス部であり続けるには落ち込んでいる暇なんてない。チームを勝たせるために覚悟を決めろと自分を鼓舞したのを覚えている。
そこから自分のラストイヤーが始まった。
六大学戦では自分にも出番が回ってきて、いくつかの試合に出場させてもらった。リーグ戦初出場の武蔵戦は苦い経験となったが大事な礎になった。でもそんな経験はほんのわずかで、大半をベンチ外でメガホン片手にスタンドから見守った。そしてある時ふと思った。
「心から応援できてないな」
それは慶應がラクロスエリート集団だから、応援がちょっと小さかったからって実際割と戦えてしまうからなのかもしれない。それとも試合に出場するメンバーが大体同じで、一緒にアーセナルから頑張ってきた同期の出場機会が極端に短いからなのかもしれない。でも慶應が勝っても、その歓喜の輪の中に自分はいなかった。
カテゴリーを問わず考えてみてほしい。
普段日が昇らないうちからグラウンドに赴き努力する理由は何が何でもチームを勝利させるためなのか。はたまた、ただ自分が活躍して注目されたいからなのか。
それから重ねてこの質問も投げかける
勝利の光景を思い浮かべた時に応援席にいるメンバーや応援してくれている保護者、OB・OG、苦しい決断を超えて選手の道をあきらめた仲間の顔が浮かんだやつはいるのか。
少なくとも自分が高校時代に教わった愛されるチームはカテゴリーを超えた全員で勝利を分かち合っていたし、その選手達の気迫と熱意に応えようと応援団もプレーに見入る暇もないくらい常に全力だった。
他カテゴリーの応援にも行きましょう。
そんなことは至極当然で、それ以外にもどれだけチームのために、そしてチーム外の人からも応援されるための行動をとれているか。これを全員が意識できていないと、愛されるチームにはなれないと自分は思う。
これから他大学が益々実力をつけてきて、そのうち慶應が全然勝てない時代が来るかもしれない。そんな時に再び這い上がる底力は、慶應には感じられない。決してこれは一朝一夕で身につくようなものじゃない。代を重ねて徐々に、築きあげていくものだと思う。これからもパイオニアと胸を張って言い続けるためにも、後輩たちに託したい。
最近になってようやく関東事務局次長浅井大先生がどこかから拾ってきた言葉
「であること」ではなく「すること」
の意味が身にしみて理解できるようになってきた。
「常に最前線を走り続ける慶應ラクロス部にただ所属している」ことと「所属しているからこそ享受できる利益を活用しつつ、慶應ラクロス部の一員としてあり続けること」
ではその4年間の重みが全く変わってくるし、チームに与える影響も全然違う。
全く持って偉そうなことを言えた立場ではないが、そんなことを最近は考えている。
慶應ラクロス部にいなかったら間違いなく縁もなかったであろう学連委員長という立場を通して様々な大学に最高の友人ができたし、地方を超えて全国に繋がりもできた。少しはチームに還元できたこともあったのなら最高に嬉しい。
ここまであまり慶應ラクロスについて批判しかしていないが、決してこの4年間が楽しくなかったとか、もっと言うと無駄だったとか、そういうことを言いたいわけではない。
実に充実した宝のような日々だった。
でも人よりもちょっとだけ苦しいことが多かった自分から
最後にくすぶっている選手たちに、そして未来の自分に向けて一言。
部活やってりゃ思い通りにいかないことだらけ。でも
苦しさも、悔しさも
「のど元過ぎても熱さ忘れるな」
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長くなりましたが最後に少しだけこの場を借りて今までお世話になった方々に感謝を述べさせてください。
人生の歴代コーチ陣
こんなに充実した日々を送れたのは間違いなくラクロスのイロハを教えてくださった皆さんのおかげです。ラクロスは難解で少し自分には難しすぎる部分もあったけど毎日の
練習が楽しい場所だったのも皆さんの雰囲気づくりや情熱があってこそでした。
それからサッカー部のコーチの方々。今考えると僕と同い年の人があの塾校であんなに真直ぐで大人な考え方をしていたと考えると驚愕です。友人のような、大人のような適切な距離感で、本当に人間力の礎を鍛え上げてくださいました。
本当にお世話になりました。
同期
かっこいい姿を見せ続けてくれる同期。勝ち続けることって簡単なことじゃないし、その裏のハードワークを知ってる分誰よりもスタンドから声を出し続けてこれました。並々ならぬ覚悟で選手よりもコーチの道を選んだやつら、部活を辞めてった奴ら、みんなに心からリスペクト(する時もある!)。僕よりもほんの少しだけ大人なみんなと一緒に全日で勝って、笑って引退したいです。
まだまだ全学も諦めてないんで、今のポジションで安心しきってるやつがいたらそのクロス俺が試合直前にへし折りに行きます。覚悟しとけよ!
諸先輩方
こんな感じでまとめて書くのが申し訳ないくらいお世話になった方々だらけです。個性強いし思い返せば扱いに困る人ばかり浮かんできますが、最高に楽しい環境を整えてくださったこと、かっこいい背中を見せてくださり、続けることができました。
引退したら飯誘ってな?
後輩たち
みんなをみてると俺って意外と大人なんだと思わせてくれるやつらばっか。みんなのことは後輩というか、ミニオンみたいな感じだと思ってるけど、認識としてはそれほど間違ってないよな。自分のプレーだけじゃなくて全員のプレーを心から楽しんで喜び合ってる姿を見るのがめちゃくちゃ好きで、その姿勢だけは崩さないで欲しい。でもな、時代は流れてて、今ではメガミニオンってのもいるらしいんやで。メガミニオンになった姿をまた見に来るから全員頑張れよ!
スタッフ陣
本当に感謝。4年になってからか、外から部活を見るようになってからか初めてスタッフの大変さに心から気づいた気がする。グラウンドを取ったり、テーピング巻いたり、練習管理したり、先回りして、気配ってみんなが心地よく練習できる場を整えるって、めちゃめちゃ大変だと思う。うちはSNSもめっちゃ気配ってるし、マーケティングとかあったり本当に社会人の先取りみたいなことをしちゃってて頭が本当に上がらないです。
いつも一番そばから見守っててくれてありがとう。選手としてみんなの思いも背負って頑張らせてください。
ラクロス部/歴代ソッカー部の腐れ縁たち+谷とか
まあ特にいうことないけど名前出さないとふてくされそうなので一応言及。みんなに負けたくなくて毎日壁当てやってた時期もあるし、自主練も苦しいとかあんま思わず取り組めた。なんか知らんけど常に前を走り続けてて、嫉妬とかももちろんあるけどそんなことより
BIG Respect
高校の友人たち
たまにラクロスから離れて息抜きをしたいときにいつもなぜかすぐ声をかければ集まれる君たち。部活外でも僕に居場所をくれたFC.ELFのみんな。(流石に夏場の試合であんな走らされるのは聞いてないけど)ゼミもなんでもひっつき虫な江の島開拓者。試合観戦に駆けつけてくれるソッカー部とかアメフト部の子供たち。毎年恒例フットサル大会に集まる暇人たち。みんな大好きです。
茅野
ここまで一本なやつを俺はあんま知らないし、部活への考え方、日々のストイックな生き方、マネできないことだらけだけどめちゃくちゃ刺激をもらった。間違いなく部活に正面から向き合い続けられたのは茅野の影響だし感謝してもし足りないです。恐らく一生の付き合いになるから別にそんな今言うことはないけど、まあとりあえず一旦、一旦ありがとう。
学連のみんな、そして浅井さん
まず本当に心から謝罪。ビクターさん以来のおさぼり委員長だったと思います。事務所に行く頻度、試合に足を運ぶ頻度、全く持って委員長にふさわしくない自覚はあるけど本当に許してください。部活との両立は本当にハードで、その中で主将やってるやつがいたり、渉外とかポジションリーダーとかスタッフやってるやつもいて、なんでみんな両立できるん?!って結構不思議だけど誰よりもラクロス愛の強い皆と過ごしていて、間違いなく学連をやることでさらにラクロスが好きになれました。皆と話す答えのない話とかめちゃめちゃ好きです。俺の憩いの場であり続けてください。ありがとう。
FOユニット、そして先輩方
本文でも触れたのでいきなりここを読みに来た人は戻って探してみてください。絶対一人はいると思うので!
FOへの情熱、向き合い方は本当に尊敬に値するし、何よりもお人好しな皆がいてくれてめっちゃ居心地いいです。
ラクロスを見て一番最初に目を引いたのが慶應のFOユニットでした。いまではそんなユニットの一員になれたのか、かなり怪しくはあるけど誇りに思ってます。
ビクターさんのでっかい背中、松澤さんの包容力、阿曽さんの論理的思考力、木村さんのネット補修力(実はアーセ時代に練習中落ち込んでるところを声かけてくださったこと、覚えてらっしゃらないかもしれませんが結構心に来ました)、寺田さんの優しさと人間力、長町さんのリーダーシップと営業力、同じ大学4年生の時を見比べても遠く及ばない事ばかりですがこれからもお手本でいてください。
後輩たちは一人一人がみんな才能にあふれてるしこれからの慶應FOについてフィールド能力以外では本当に何も心配してないし、安心して任せていけると思ってる。俺から教えることはあんまなかったと思うけど、春海と増成(笑)リーダーのもとでこれからも強い慶應であり続けてくれ。
陽世は今年のユニットを率いてくれてありがとう。しんどい時に一緒に考えてあげられなかったのは申し訳ないけど、別にどんなやりかたでもこのメンバーなら大丈夫だと思ってたから、実はあえて陽世がどう出るんだろうって見守ってただけだから!
怪我しがちだけど結局試合には戻ってきて慶應にボールを供給し続ける姿、本当に尊敬です。高い壁であり続けてくれてありがとう。
両親
絶対にブログを読まないと豪語してた母、どっしり構えて動かない父
どうせ読んでると思うけど試合の時みたいに、読んだとしても俺には言わないでね。
こういうところで書くような内容じゃないって怒られるかもしれないけど、せっかくの機会だから短めに。
長かったアスリート人生が幕を閉じようとしています。今まで本当に支えてきてもらってばっかなのにすぐに車は壊すし、友達の家に泊まるときも連絡せずに朝まで心配かけるし、不出来で申し訳ない。でも道具とか交通費とか日常とか、全部が当たり前だと思ってないし、人一倍感謝してます。結構人としておかしい行動をとってる自覚はあるけど、それでも人間としての芯の部分は間違いなく二人から授かった宝物です。本当にありがとう。
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次はみんな大好き野田りんです。
中学サッカー部から同期の彼とは本当に長い仲で、どこの受験会場に行っても
「なーんかこいつ、どこにでもいんなぁ」
と思ったのが最初に認識した瞬間でした。
人一倍元気で、ボケを生きがいにしてて、下卑た話が大好きな彼が話すと結構アツくて芯を食った話しをするのが結構ツボで、真面目な話をしながらその内容はひとっつも覚えていませんが、唯一コーチを志願したときに、めちゃくちゃ感動したのだけ覚えてます。
そんなコンプラ激越え人間野田りんが今宵もフロアをぶち上げます。
めちゃくちゃ楽しみにしてるから!そんじゃよろしくぅ!