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日記リレー

【日記リレー2022 vol.2】「19.04.09」~秋山愛美(4年/文学部/TR/芦屋国際中等教育学校)~

青木からバトンを受け取りました、TRの秋山愛美です。彼の足首のテーピングを巻き始めて2年くらいたった気がしますが、彼の今のテーピングは10秒くらいなので実はあまり長く話したことがありません。実は紹介文がなかなか思いつかなかったので同期に相談したら、青木も同じことを言っていたようできまずいです。引退までにもう少し仲良くなれたら、と思います!

1年生の頃から、先輩の日記リレーの6割くらいに「気が付いたらいつの間にか締め切りギリギリだった」と書かれているのを見て、自分はこうならないと決意していたのに自分も同じことを書くはめになってしまいました。あまり自分の考えを人に話さないのでなんだか恥ずかしいですが日記、ということなので今までを振り返りながらなんとなく綴ってみようと思います。

私は高校1年生の時にラクロスというスポーツを知りました。当時私が住んでいた場所はラクロス発祥の地で、みんなラクロス大好き~みたいなところでした。ホストファミリーとの関係があまりうまくいかなかった私にとってラクロスというもの自体にすごくいい思い出があります。ラクロスを通してたくさんの友達ができたし、辛いこともあったけれど留学してよかったと心から思えるのはそこで出会った人たちのおかげです。その経験から大学ではラクロス部のスタッフをやりたいと思い始め、三者面談で「ラクロス部が、早稲田より慶應の方がよさそうなので志望校は慶應にします。」、と宣言し、なんやかんやあって今に至ります。ラクロス部に入りたくて慶應に入学したという嘘のような本当の話で、なんとなくその時の気分で慶應を選んだのだと思いますが、そういう、人生における選択の勘と運は本当にいいほうなのでこれで正解だったと思っています。入部の意思が固まっていたので、新勧はラクロス部とビンゴの景品にディズニーのチケットがあると噂の医学部の体育会以外行きませんでした。実際そのビンゴでチケットを当ててしまったので入部をお断りするのが本当に気まずかったです。

というのが私の入部の経緯です。よく「なんでラクロス部に入ったの?」と聞かれるのでその際はこのブログのリンクを送り付けようと思います。

こんなに長々と書きましたが、私がラクロス部に入部したのは「なんとなく、ラクロスにいい思い出があるから」ということです。私はこの「なんでラクロス部なの?なんでスタッフなの?」という質問に勝手に悩み、勝手に傷ついてきました。本当に何気なく、話のネタとして聞いてくれていたことは重々承知ですし、自意識過剰だと思います。だけどその質問の裏で、崇高な動機がないとここにはいちゃいけないと言われているような気がしました。1年生からAチームで試合に出ている同期に「なんのために、自分の頑張りが自分に返ってこないスタッフやってんの?物好きだね。」みたいなこと言われたときには気絶しちゃうかと思いました。この部活のスタッフ組織はスタッフが選手を日本一に連れていく、というビジョンを受け継いでいます。もちろんそれはすごく大事なことだし、実際スタッフがいなければこの部活は成り立たないです。ですがほとんど全員のスタッフがそれを信じている中で、お願いされてスタッフをしているわけではないのに、選手がいるからこそ目指せる場所があって、どちらかといえば日本一のスタッフにしてもらってる側じゃん、、、と思っていました。やるからにはそのくらいの覚悟を持てよ、くらいの気軽さでその言葉を受け取れず、しかもTRリーダーになるのが1年生の頃からほとんど確定していたこともあり、それが重荷でした。今考えれば弱い自分に対する言い訳だし、大げさすぎるけど、それでも退部が一度も頭をよぎらなかったのは支えてくれているたくさんの人のおかげです。ありがとうございます。

で、この話はどこにオチがあるのという話ですが、私の好きな言葉に「何かを始めるために揺るぎない意志とか崇高な動機なんてなくていい。成り行きで始めたものが少しずつ大事なものになっていったりする。スタートに必要なのはチョコっとの好奇心」というのがあります。歳を重ねるにつれて、大義名分や明確な理由がないと行動しにくくなるというのは本当だと思っていて、でもどんなときでも行動や選択の原点は好奇心だなあと思うのです。だけどこの言葉の要はもう少し先にあると思っていて、そこで始めたこと、始めると決断した自分を信じることの重要性こそがこの人の言いたかったことだと私は解釈しています。この部活に入ってよかったと現時点では思っているけど、引退する日はどうかわからないし、自分を悩ませた存在意義に関しては自分で決めることじゃないのでもしかしたら未来永劫わからないままです。だけどあんなに悩んでいたことも、正直今はどうでもよくて、私一人では到底目指せない目標、見ることのできない景色、感じることのない感情、本当にたくさんのものを与えられた環境でみんなと頑張れること自体が幸せだなあと感じます。自分の何かが誰かのためになっていればなんて見返りは求めていないし、それはみんなが決めることです。でも少なくとも私は、みんなからたくさんの物を与えてもらっているし、なんならおつりがくるくらいです。私は誰に頼まれたわけでもなく、自ら志願してスタッフを4年間続けてきました。だから、見返りを求めず、自分と目標を見失わず、ここに来た自分の選択を最後まで信じたいと思います。信じるためにはそれを裏付ける努力がもちろん必要なわけで、そこでようやく存在意義うんぬんになるんだろうなあと思います。私の持論ですが、人生は縁と運ですべて決まると思っています。私たちの選択はそこにたどり着くまでの選択にしかすぎないと思っているし、努力が必ず報われるわけではないけど、その選択を後悔しないように、その選択をした自分を好きでいられる行動を常にしたいです。それが自分の頑張る理由であり、PRIDEなのかなと思ったり。

ここまで本当に長々と感情を垂れ流してしまいました。ここからは感謝コーナーです。

まず、同期のみんな。私をこの代のスタッフとして受け入れてくれてありがとうございました。自由奔放なみんなが作るこの代の雰囲気はすごく居心地がよくて、この代で良かったと本当に思います。さっきこの部活はスタッフが選手を日本一に連れていくビジョンが伝統って話をしたけどそれが本当に似合わない代だと思っています。他のスタッフのみんながどう思っているかわからないけど、少なくとも私はずっと後ろからリードを離さないでいるから、引退まで自由に、フィールドを駆けてほしいです。怪我と体調だけは気を付けて、それだけは変わってあげられないので。ところで、スタッフが入っているグループラインの数は異常で、一夜明けると通知が100以上たまっていることはざらです。心底早く解放されたいのですが、みんなに最後、一つだけお願いをしていいとすれば12月末までラインの通知に悩まされる日々を過ごしたいです。

そして、TRのみんな。

ここまでみんなと同じ組織でやってこられて嬉しいです。本当にみんなには助けられっぱなしで、ついてきてくれてありがとうどころかみんなと一緒だったからがんばれたし、手を取り合い、支えてくれてありがとうが一番適切な気がします。みんなの残りの部活の日々が少しでも、嫌な気持ちやしんどさだけに囚われない日々だといいな

ゆうせいは4年生からTRに転向してくれて、言葉では言い表せないくらい心強かったです。もう少し2人で頑張ろう。

Burnの代からDevoteの代までお世話になった先輩方にも感謝を伝えたいです。ありがとうございます。

最後に、どんなときも一番近くで私を理解してくれて、支えてくれたまきなには本当に感謝しています。同じお墓に入ろうと誘われていますが、返事はまだ保留中です。そして、家族にも自由に、そして本当に強運に産んでくれてありがとうと伝えたいです。私がどれほど強運かというと、中国で誘拐されかけた話などがあります。だけどこの代に生まれて、こうしてみんなと出会えたことが今までで一番の運だったと思います。これからの人生の中でも、ではないですけど。

ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。次は、荒井君にバトンを渡したいと思います。生粋の陽キャで入部当初は少し怖かったですが、あまり友達が多くない私にも親切にしてくれます。正直、紹介文を面白く書けるほど深く関わる機会はなかったですが、1つ本当に面白い話を聞いたことがあります。おもしろ、びっくりであと3か月くらいは思い出しそうです。あ~、変なの~。なんの話か今頃荒井はそわそわして、読んでいるみなさんも何の話か気になっているころと思いますが、それはず~っと秘密です。アーセコーチとして日々1年生とまっすぐ向き合っている姿は同期だとスタッフとあさひしか見ることが出来ないですが、素敵です。日記リレー、期待してます。

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