【日記リレー2020 vol.10】副田海斗
『面壁九年』
むっつからバトンを受け取りました、副田海斗です。
むっつからバトンもらうのも、もう4回目。今までありがとう。イケメンだの滑舌悪いだのはもう散々書いたと思うけど、青が好きなのは書いてなかったかな?防具一式、車まで青のむっつ。
青といえば今年は青天霹靂、突然空の青さが奪われ、半年近く屋内で過ごしたと思う。普通に練習ができる環境、チームメートと会って話すことを始めとするあらゆる当たり前の貴重さに気付かされた。
それと同時に俺は後悔に襲われた。
1年生の夏合宿で、練習の準備でテーブルを運んでいた私はヘルニアになった。それがアーセとして最後の練習だった。みんなが新しいことを学んでいく中で、一気に置いてけぼりをくらった。
しかし、後に怪我で辞退という形にはなったが、ユース候補に入っていたこともあり大丈夫だと楽観視してしまっていた自分がいた。
確かにヘルニアで脚が痺れ、痛み、ちゃんと歩けない日々ではあったが、それを言い訳にしてできたであろう戦術を学ぶことからも逃げていた。
その怪我はしばらく治らず、2年になってからはリハビリが嫌で復帰したが、1年経過した夏頃までは痛さのあまり走ることさえできなかった。
その1年間、私はラクロスから逃げていたと思う。
その1年で同期とはすでに雲泥の差だった。
なにもせずなあなあと俺が過ごした1年と、うまくなるために自主練、そして動画を観て反省を繰り返したみんなの1年。
ラクロスは大学から始めたアーセ組にとって4年間しかできないスポーツであり、本当に一瞬で終わってしまうということを後輩たちには伝えたい。
さっき言った1年なんてもってのほかで、一日一日をいかに考えて過ごし、努力を続けられるか。その意思の強さでうまくなれるスポーツだと思う。逆にそれは最低限やらなければいけないことだと実感した。
達磨大師なんて、壁に向かって9年間座禅を組み続けたというのに、俺はラクロスにたった4年間も向き合えなかった。
俺なんかに言われなくてもわかってると思うけど、ただ後悔をしないように全力で取り組んで欲しい。4年間頑張って走り続けて欲しい。
怪我をしても折れずに努力を続けられる人はいいけど、
俺みたいにメンタル強くない人は怪我の予防としてしっかり筋トレをして。
一回側副靭帯やったけどそれ以外ではそう怪我しなかったから。
だから鍛えて鍛えて、次はいつかベストボディジャパンの舞台で会おう。
脱線しちゃったけど、つまるところ、筋肉は正義です。
もうここらへんにして、次は高校の卒業旅行ではウェイトしてる俺らを鼻で笑ってたけど、今では毎日下田で鍛えてる田村です。
最近飼い始めた犬との方が会話できる気がするくらい田村とは意思疎通がとれません。俺だけじゃないはずです。文章がちゃんと書けるか心配です。ではよろしく!